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初(はっ)ちゃんの世界紀行 ――吉田初枝
 
ネパールの旅(07/24~08/05) [2023.07.24~08.05]
 
 行き先をネパールと決めれば、先ずは往復のチケット、煩わしいヴィザの取得から始まる。大阪のセクションは閉鎖、東京のみ。現金封筒の往復でやっと届く。
 ネパールも梅雨らしい、時折の夕立で、30度以上にはならないよと、友人の話を信じた。今回は元気のよい相棒さん二人、心強く有難い。何時もの不安、期待、緊張が付き纏うネパールに向けて関空より出発をする。
 深夜のトリバン空港に到着。ホテルよりのお迎えの車よろしく。難無く1日目は過ぎていきました。次の日の朝、カトマンズの中心街タメルの端の中級ホテルに、20年以上の付き合いのネパールの娘ボビちゃんが訪ねて来る。7年振りかな、まだ日本語は忘れていない。トリバン大学の教授の奥さんになり、2人の息子と平穏無事に暮らして居る事が、彼女の様子から察し、多くの心配を払拭してくれる。
 ダルバール広場の旧市街が、カトマンズの観光の中心。彼女の案内でタメルチョウクよりインドラチョウクを通うると、少しずつ思い出す。露天商が多かったが、政府の規制で無くなっています。
 昔からの庶民の店が軒を連ねています。閉まっている店も多い。その中でも貴金属商がいやに増えています。貯金せずに金に変えて資産として残す、自国の通貨を信用できないのです。
 ダルバール広場に着けば、直ぐに外国人には入場料を支払わせる。胸にカードをぶら下げます。カトマンズ王国の宮廷には、見事な装飾の宮殿や寺が建ち並んでいます。鳩の多さが目立ちます。シバ寺院、カスタマンダグ寺院、ナラヤン寺院、クマリの館には、生き神様クマリが今も暮らしている。王様の住まいのハヌマン・ドカにはヒンズー教のシンボル猿の神様が、門の前に赤い衣を着た像がありました。カーラ・バイラブは巨大な石像で、嘘と真を見分ける力があると信じられているユーモラスな姿です。時折お湿り程度の雨が降って来る、暑さを凌ぐには丁度良く、埃も立たず気持ち良い散策でした。
 地元のバスでボダナートに行く。次々と乗客は降りたり乗ったり、道路は穴ボコだらけ、混み合うのは今も変わらず、ドライバーさん器用に擦り抜けていく。ボダナートはチベット仏教の主要な巡礼の地、亡命したチベットの人々が住み着いて、一大住居地となる。今も五体投地を為さっている人々が、早朝にはお目に掛かるそうです。此処も、鳩の集団が沢山です。グルーと一回りして、大きな知恵の目玉の真ん前で、ネパール料理をいただく、祈りの旗タルチョがはためき涼しい風、心地良い祈りの音楽に、眠気を誘う一時を、ゆっくりと味わいました。成長した愛しい彼女の姿に、自分が其れだけ歳がいったと思えば、感無量の思いをする。果物屋さんでマンゴーを買う、12個で(200円)、ホテルで冷やして戴く、果物の中で一番の美味しさは、マンゴーに有り。その晩には、ボビちゃんのお兄さんが訪ねてきました。8人兄弟姉妹の一番上、頼まれていた本を渡しました。貴方は元気ですねと言われ、何時も各方面の、山岳トレッキングの為に来ていたので、内心は膝が痛いので、登山は出来ないとは言えずに、内緒にしました。

 
1.ホダルバール広場. 2.カーラバイラヴ
ホダルバール広場 space カーラバイラヴ
3.シヴァ寺院 4.ボダナート寺院
シヴァ寺院 space ボダナート寺院
カトマンズ→ポカラ
 
 早朝より霧のような雨、バスでポカラまで行きます。朝食はランチボックスを持たせてくれる。バス停留所では、デラックスかな、シートが豪華な造りになっています。騒々しいカトマンズを後にすれば、爽やかな田舎道が待っていると思いきや、細いデコボコ道は雨でぬかるみ、まるで沼の中、拡幅工事、崖崩れの修復が多々あり、一方通行あらゆる困難な道行です。200kの道を、信じられない10時間かけてやっと着く。工事は全て”中国交建”の看板がある。此処にも触手を伸ばしている。債務不履行にするつもりなのだろうか。中国の恐ろしさを知らないのだろう。以前はのんびりと、田舎の風景を楽しむ余裕があったし、舌を噛みそうなクネクネの道を楽しんでいた。今回は道路事情の悪さと時間の長さに、苦痛を伴いましたが、3人は元気にリゾート風の田舎宿に落ち着きました。広い敷地内には、花々、池ありで、3人兄弟が経営しているとか。お客様は私達3人だけです。ポカラにもマンゴーは沢山売っています。バナナは太短いが、甘みが強くとても美味しい。相棒さん達は、冷えたビールと共に、明後日のトレッキングとガイドの相談をしています。

ポカラでの日々
 
5.サランコットからカトマンズ市内 6.ゴータマさんと娘さん(彼のホテルの前で)
サランコットからカトマンズ市内 space ゴータマさんと娘さん(彼のホテルの前で)
 
 車をチャターして郊外のデビット・ホウルに。フェワ湖の水が、岩壁の穴に吸い込まれ滝となる
 奇妙な流れは、激しく水蒸気をまき散らし、多くの見物客を集めています。雨の後で足元が不安定でした。タシリン・チベット村は、チベットで動乱が起きた時に、ネパールへ逃げた難民を、政府が保護して村を作った。ジュータン工房で、多くのジュータンを展示即売しています。現代風のデザインの物もあるが、送料が高く、送れないでしょう。
 相棒さん達は許可証が不要のダンプスから、オーストラリアン・キャンプまでをトレッキングするのを予約していました。
 昨夜は凄い夕立があったけど、朝はピタリと止んでいます。オーナーさんが、登山口のカーレまで車で送って下さるらしい。私にもサランコットを、見せましょうとのお誘い、有難く乗り込む。サランコットまでの途中、雲の合間にアンナポルナ南峰とマチャプチャレ山頂を少しの間、拝むことが出来ました。サランコット(1592m)に着けば、ポカラの町の遠望と、張り切り小母さんが椅子を勧めて下さる。日本人と分かればどの国でも、笑顔で接してくれる。曲がりくねった道の奥にも、人々の暮らしはある。ノーダラを越えたらカーレで、彼等は元気にトレッキングに出発です。私は其の儘、宿に帰ります。帰路の途中別の道を通ります。オーナーの友人がヤクのミルクで作ったチャイを御馳走してくれる。矢張り普通のチャイとは一味違った、濃くのある旨味でした。
 若き頃アンナポルナ内院まで、トレッキングの折のガイドさんであった彼に会いたい。彼は大いなる夢を持って居た。彼の誠実な態度と努力があれば、きっと夢は実現すると確信していた。次に会った彼はレストランと大きなアパートを経営、レストランはとても盛況で、多くの努力が見られた。彼の商才は花開いていた。レストランのすぐ横に、ホテルを建てると、その土地も見せてくれていた。しかしながらこの長引くコロナ禍の影響で、レストランは銀行に、アパートは人手に渡り、唯一残ったのはホテルだけ。神経が少しおかしくなって、3か月入院していたと話す。忘れずに訪ねて来てくれたのを、彼は非常に喜んでくれました。
 次の日、フェワ湖をグルーリと散歩しました。以前とはあまり変わっていないが、矢張りコロナ禍の弊害は、多々あります。売れずに埃を被り、色あせたお土産の品、閉鎖した店、観光客が居ない道を、懐かしく想い出しながら歩きました。昼には彼の家に招待されました。傾斜を利用した新築の家、奥様の意見かな、台所がとても広い。16歳の娘さんとは8歳位の時にお会いした。彼女は覚えてくれていた。13歳の息子さんは恥ずかしがり屋さんのようです。奥様の作ったネパール料理を御馳走して下さる。彼の苦渋の経験は、きっと何かを得たと思うし、彼の今後の一皮むけた姿を,何時か見る事が出来るだろうか。彼が疲れを解してほしいと、アーユーヴェダーのマッサージを、プレゼントしてくれるが、戸惑いと恥ずかしさと、オイルの気持ち悪さで、早く終わって欲しいだけでした。宿に帰れば相棒さん達は、疲れも見せずに、元気に帰っていました。トレッキングの話を聞くのが楽しみです。

ポカラ→カトマンズ
 
 4日間をポカラで過ごし、旧友とその家族にも会えたし、相棒さん達もトレッキングが出来て、満足の様子です、昨夜もかなりの雨でした。カトマンズに帰るあの困難な道を考えると、不安はよぎる。航空でも良いけど、以前に遅れが幾度もあり、結局飛ばなかったので、矢張りバスにしました。川は濁流が渦巻き、道路は川になり、雨の中でも工事はあり、何時事故が起きても、不思議ではない程の危険さを、何とか無事にカトマンズに帰った。命からがらとはこの事かも。

7.ナガルコットのホテルとエンゼルトランペット 8.チャング・ナラヤン
ナガルコットのホテルとエンゼルトランペット space チャング・ナラヤン
 
カトマンズ→ナガルコット→チャング・ナラヤン
 
 標高2100mの絶壁の丘の上にあったホテルは、以前泊まったので、メール、電話もかけたが、返事が無い。其のホテルからのヒマラヤ山脈の遠望、満天の星空は忘れられない。今一度と期待するが、そうはいかない。カトマンズの喧騒を抜け出し1時間30分位、緑多き丘へと突き進む。ネパールの保養地であったが、コロナ禍の影響で、多くのホテルがクローズ、曲がりくねった道には野犬が沢山いる。車に惹かれないかと心配。耳の垂れた可愛いヤギの放牧有り。ヤギの牧場でチーズを戴いたことを思い出す。今日のホテルは6階建て、1階の一人部屋を貰う。のんびりと散策すれば、閉鎖したホテルと、今建設中のもありで、何だか人生模様のようです。風は爽やか、自分の足音を聞きながら、住民に話しかけると、何方も快く答えて下さる。チーズを頼むと、もう今では此処では作ってはいない、カトマンズの工場に、絞った乳を全て運んでいるそうでした。ホテルで夕飯を注文すれば、とてもおいし料理でした。明日は相棒さん達、ナガルコットからチャング・ナラヤンまでをトレッキングするガイドを、紹介して貰う相談をしました。
 次の朝は、鳥の声で起こされる、姿は見せずに合唱をしています。早朝の雲海を楽しみに待つ。一瞬にして変化して近くなる雲の色彩に,魅了させられる。標高の有るこの地の不思議さを思う。
 遥か彼方の山脈は見えないが、近くの連峰はよく見える。少し時間が経つとホテルの周囲は雲海の中、まるで雲の上に浮かんでいる。雲海とはよく言ったとおもう、正しく雲の海です。
 私は相棒さん達と、落ち合う場所を決めて、時間に合わせて。ネパール最古のヒンズー寺院に、向かいます。細い山道を次々と車で越えて、ポカラまでのあの最低の道ではないが、砂利道のデコボコ道を40分、流石と思わせる丘の上の石段を上がり、赤レンガの建物がチャング・ナラヤンでした。裾を引きずって、正装した女性達が、長き階段を登って行きます。両サイドには色んな店がある門前町です。ネワール様式の繊細な木造建築は美しい。夏の日差しは強烈です。カトマンズやパタンの街並みを見渡せました。相棒さん達も村々の段々畑の美しさを、堪能できた様子です。元気に合流でき、バクタプルの古都を通過して、カトマンズのホテルに帰りました。

パタンにて
 
9.パタンダルバール広場 10.パタンクリシュナ寺院 バイ・デカ寺院
パタンダルバール広場 space パタンクリシュナ寺院 バイ・デカ寺院
11.ゴールデン寺院
ゴールデン寺院
 
 この旅も終りに近く、矢張り日本食が恋しくなる。昨夜は3人で昔からお馴染みの日本食堂で、戴きました。今日はパタンに行きましょう。バクタプルと同じような古都ですが、パタンを選びました。”美の都”と言われるように、見事な建築物、彫刻、絵画に優れた、ネパール族の都であった。ダルバート広場から散策は始まる。入場料を課して、またも首からのワッペンを。旧王宮、デグタレ寺院、パタン博物館、ナラヤン・チョウクと、どの寺院もその時代の最高技術で造られている。仏画を描く工房も沢山ある。ネワール仏教とチベット仏教が、一緒に祀られている、ゴールデン・テンプルは、その中でも印象的なお寺でした。門の天井は、石の曼陀羅がはめ込まれ、その精巧な細工は見事でした。本堂は金で覆われています。二階では昔ながらの教典の印刷を、手仕事で為さっています。沢山の僧侶が、経を唱えていました。同じような寺が沢山ありますが、地図を読み難い、地元の方に教えてもらい、大きなビムバハ池に出る。地上の楽園の如く、白鳥達が優雅に泳いでいます。今日はテレビの中継が有るらしく。屋根の有る待合場所には、こざっぱりとした老人達が、アナウンサーの問いに答えています。何だか全てが、計画された対応、言葉は分らぬ寸劇を見ました。

ボビちゃんのお宅
 
12.ボビちゃんの二人の息子とおばあちゃん 13.台所のボビちゃん
ボビちゃんの二人の息子とおばあちゃん space 台所のボビちゃん
 
 夕刻ボビちゃんの家にお邪魔する。兄弟で住むのがネパールの常の事らしい。3階建ての住宅には、二階を主人の母と息子二人が暮らす。三階はお兄さんのお宅。ボビちゃんの御主人と話す機会があったので、ポカラ行の道路の事を尋ねると、中国は初めからの思惑道理に、債務不履行にして、工事をした所は、通行税を課すようになる。あの国には援助の精神は、無いのでしょうか。ネパールの政府はずーと賄賂政治で、国民はそっちのけ、秘密裏に政治はある。スリランカの高速道路でも、そんなことがあった。ドライバーさんが嘆いていた。同じようになるでしょう。そしてネパールの教育の貧しさを、心配しています。大学を卒業しても、仕事もなく、お金が無ければ、幼時から教育は、受けられない。ネパールには義務教育は無いのです。此れでは何時まで経っても、この国の将来はないと。寂しい話を聞きました。

パシュパテナート
 
14.パシュパテナート
パシュパテナート
 
 ヒンズー教の最大の寺院であり、ガンジス河支流のこの聖なるバグマテイ川は、ヒンズー教徒の火葬場です。橋で上流と下流れに別れています。過って王族は白檀の香木で焼かれ、町中を香りが充満したらしい。ヒンズー教徒の死生観は、輪廻転生を信じているので、悲しみにくれている人は居ない。女性の姿は其処にはない、何体もの死者が、白い衣に包まれて、人々は淡々と儀式を終えると、大きな台の上に乗せ、藁に火をつけて燃え上がる木材と一緒に灰になる。魚を焼いている匂いがしてくる。供物を狙う猿や鳩が、群がっています。完全に燃え尽きれば、灰を川に流します。対岸から観光客達は、一部始終を眺めています。何だか一幕の劇を見ているようで、虚しい気持ちでした。この寺には、ヒンズー教徒以外は入場出来ない。対岸の大きな丘に森林あり、小さな寺が沢山建っています。修行中の身体中を、白く塗ったサドの姿も見られます。相棒さん達は森の奥に、散策に行ったようです。私は大きな夫々のパラソルに、易者が座り込んでいます。地元の人達の様子、何やら深刻な相談に来ている。会話の内容は分からぬが、黙って眺めていました。
 
カトマンズ→ドウリケル
 
15.カーリー寺院の本尊
カーリー寺院の本尊
 
 明日は帰国、今日をどの町にしようかな。車をチャターして眺めの良い町ドウリケル(1524m)に向かう。市内から郊外に、脱出するは至難の業。日本では考えられない、バイクが縦横無尽に何処へでも走る。大体後部席に何方が、へばり付いて、混雑する車の中に入って来る。信号は警察が、道路の真ん中、手で合図。この暑さの中で、ご苦労さんです。
 やっと山岳地に近く、昔から交通の要所だけある。今は市民の保養地でもあろうか、ホテルも多い。建築中のもある。丘の上までスマートな道は続き、ポカラ行とは雲泥の差がある。静かな山の中にある、カーリー寺院までは、長き階段を上る。パノラマビューは望めないが、近くの段々畑と山々は、はっきりと眺められました。あの美しいヒマラヤ山脈は雲の中でした。今回は季節選びを間違ったかもしれない。9月、10月なら可能だったかも、でも満員の観光客に戸惑ったでしょう。
 夕刻タメルのホテルに、ボビちゃんは訪ねて来ました。矢張り日本食へと向かいます。彼女の和やかな家庭の姿と、彼女の兄さん、ポカラの彼にも、お会いすることが出来、9回目のネパールの旅は、トレッキングは出来なかったけど、嬉しい気持ちで帰国しました。
 
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