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kyojyu15
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ミズナラ 鈴鹿杉峠道
 峠道は自然の中に人の情感が刻み込まれ、道の生い立ちから現在に至る生き様が表れている。しかし、ほとんどの峠道が生活道として機能しなくなった今、そんな情感も色褪せてきているが、この杉峠道からはさまざまな人々の感情が伝わってくるようだ。そんな人々を見下ろし、人々の思いを伝えてきたのが、道に沿って続くミズナラを始めとした木々たちではないだろうか。中でもフジキリ谷源流に近いこのミズナラの重量感には圧倒される。その重さは通り過ぎた人々の感情と歴史の厚みであろう。私も三十年以上前、日没寸前にこの木の下を通り、峠道でビバークした。何を思って歩いて下って行ったのだろうか。
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