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初(はっ)ちゃんの世界紀行――吉田初枝
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ベトナムの旅 〔2015.07.13〜07.24〕
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 4月の終わりに母が肩と左手首を骨折して、完治したが身体全体が弱って来て、要介護の人となってしまった。デイサービスを受けながらその日を過ごしていたが、ショートステイの許可を貰い、家族がその間だけを、何時もと同じように旅に送り出してくれる。1週間ではアジア圏位と思い、16年位前に訪れているベトナムを選び、相棒さん2人と出発する。直通なので5時間弱でハノイに到着する便利さ、そして今はビザも不要だし、なんと楽な事でしょう。
ベトナムは南北に細長い国、日程が短いので空路やバス、列車の判断を適切にしなければならない。空港でベトナムのお金(ドン)に換金してみて吃驚する。0が多くて、頭が痛い。日本円に換算するには0を3つ取って6を掛ければよい。この旅はお金の事で苦労をするのではないかな。でもドルはそのまま使えそうだし、心配はしないでおこう。
  ハノイ
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左=朝の路上市    右=タンロン遺跡ドアン・モン

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左=ホーチミン氏の廟    右=一柱寺

最初日と最後日をパソコンで宿だけ予約して居るので、今日の宿は心配ない。空港からのバスは厄介な場所しか止まらないし、人が集まらねば出発しないらしい。タクシーは問題が多いらしい。宿からのタクシー迎えが一番安全らしいので迎えに来てもらう。ベトナム戦争のお蔭ではと思われる位に、空港からの高速道路は非常に美しく整備されて、区画が大きく余裕がある。旧市街に入るとそうはいかない。入り込んだ路地が続き、間口の小さなホテルに着く。冷たいウエルカムジュースを戴いて、何だか優しそうな従業員さん達。朝食付で1000円程、物価は安いのかな?これから分かる事でしょう。
街の散歩に繰り出すが旧市街は迷路のようです。同じような道が交差していて、迷子になるのではないかな。宿を出る時には、宿の名刺を貰って確認を怠りなくしていないと心配です。多くの同じような観光客向けのお土産屋さんが連立していて、その中には由緒有り気な寺社も混じっている。こんなに同じようなお土産ばかり売っていては、生活をする上には大変ではないかしら、そんなに売れているようには見えない。銀行やレストラン、旅行社等もあるが特にコーヒーショップが多い。もしかしてベトナムはコーヒーの生産国の第何位?かも知れない。賑やかな商店街の前の歩道は、バイクの駐車が満杯で歩き難い。慣れていない私達には考えられないことばかり。偶に信号を見かけるが、余り守られてはいない。道路横断は厄介で、地元の人が渡る時に、くっついてゆっくりと、決して走らずに歩けば何とかなる。
ホワンキム湖はハノイの観光のメイン。湖の周辺は遊歩道になっていて、しっとりとした森林の中の道、歴史を感じさせる大樹の集まり、木陰は暑さを少しは凌いでくれる。湖の中心のコックソン島には王山祠、大きな亀の剥製があり、人々は何かのお願いをしているようです。どこもかしこも観光客と地元の人々のバイクばかりが、爆音と共に大波になって、襲ってくる感じを受ける。ハノイの若者達のパワーを感じる。
この町の名物タンロン水上人形劇を見ようとする。1日に5回公演が有るらしいので、劇場の玄関口でその開演時間を待つ。観終わった人々が出口からどっと出てくる。大勢の観客に驚く。この人形劇は1000年以上前から、ベトナムの北部に伝わる伝統芸能である。伝統的な楽器と民謡を聞かせてくれる。言葉は分からないけど、その人形や動物の繊細で少しコミカルな動きは、感動を与えてくれる。腰までを水に浸かって演ずるのは大変な事だと思う。そしてこの劇場はベトナムの英雄ホーチミン氏が、子供達のために建設したらしい。300人程の観客が入場出来るとても豪華な劇場でした。珍しい人形劇を楽しませてもらいました。
ハノイのもう1つの観光は、ハロン湾見物なのですが、そこまで行くだけで3時間半かかる。多分1泊しなければ無理だと思うし、以前観光した折に、海上の寒さで風邪を引いて、寝込んだジンクスがある。今回の観光は北から南までは相当遠いので、相棒さんと相談の上止めにして次の町フエに行くことにする。明日の夜行バスの予約をするべしで、旅行社で、デラックスバスだと自信もって言う社員を信じて予約するが、何となく怪しい感じを受けるが、先ずは乗ってみなければ分からない。宿に帰る途中で、清潔そうなお店によって夕食を戴いたが、メニューに載っている写真とは大違いの物が来て、美味しくなかった。
次の日の早朝、近くの庶民の朝市に出かけ、先ずはマンゴーとライチ等を買って帰り、宿の冷蔵庫で冷やしていただこう。この地の人々は朝食には、何を食しているのかなといつも気になる。路地に粗末な小さな椅子とテーブルが在り、そこには竹の葉に包まれたおこわやシュウマイの様なものが朝ごはんらしい。家庭では朝ごはんを作らないのでしょうか?たまたまだったのかも知れないけど。家の事情があるのでしょうが、ハノイの風習かも知れない。宿は7時から朝食なので、帰ろうとして道に迷う。人に聞いてやっと帰りつく。安宿のバイキングは粗末なもので、期待してはいないのでそれなりでした。
サー、ハノイの市内観光に繰り出そう。道に迷った経験から、宿でタクシーをチャターしてもらい、ホーチミン廟まで行ってもらう。流しのタクシーはトラブルが急増しているとかで、簡単にはいかないらしい。近くにはフランスがベトナム統治時代の建築のスマートなビルは、現代ベトナム外務省、カトリック教会、博物館等、洗練された建築物が多い、政治と文化の中心でしょう。整然とした並木道も、何処となくしっとりとした落ち着きのある中心地。以前訪れた時には、ベトナムの民族服のあのアオザイを着た若い女性が多かった、細身の彼女たちの姿は、とても美しいと感じていたが、今はもうあまり見かけない。何かの式典用だけなのかもしれない。この暑さでは何処も同じく簡単な服装の方が楽なのでしょう。
ベトナムの国中の人々が独立の父と尊ばれるホーチミン主席の遺体が安置されている此の廟に、一目お目にかかろうとしてやって来る。でも今日は金曜日なので一般公開はお休みらしい、私は以前訪れた時に、お目にかかった事があるが、相棒さん達には気の毒な事をしました。玄関前で衛兵の交代がみられました。
旧ハノイ城跡はタンロン遺跡と名前が変わっている。其処へ行こうとして地図を読んで歩いて行く。11世紀〜19世紀までのベトナム王朝の栄えた時代の城で、やっと発掘調査を終えて、一般公開されたらしい。ユネスコの世界遺産にも登録されている。暑さの中ヤレヤレで辿りつく。重厚なる威厳を持ったドアン・モン〈端門〉を潜り内部に入って行く、その途中には沢山の盆栽が、大きな凝った植木鉢に植えられていて、日本ほどの小振りではなく、大きくて驚くほど。盆栽とは其の一つの鉢に、大自然を感じさせるのが、勝れた盆栽であると聞いているが、正しくそれを超えている盆栽ばかりが、何列にも並んでいる。管理が大変でしょうと言いたいけど。まだ発掘の途中であり観光客も居ないのでゆっくりとしているが、これ程に太陽が容赦なくギラギラと照りつけるのでは、観光も儘ならぬ。大きな規模の城であったことはよくわかりました。
次の観光地に行こうとした時に、ハノイ大学の日本語科の学生さん2人が、ボランテアとして、案内の申し出があった。ハノイ市のボランテア証明を首から下げている。何よりも2人の澄み切った瞳を直ぐ信用をして、ホーチミンさんの居宅と一柱寺を案内してくださいとお願いをする。ホーチミン廟までバックしてその横の公園の道から、彼が生前寝起きした木造高床式の家屋が森林公園の中に2間ほどの小さな素朴な佇まいが在る。彼は妻をめとらず独身で、ベトナムの独立に生涯を掛けて成し遂げた崇高な人と尊敬されていた。国民からは“ホーおじさん”と呼ばれ親しまれている。二人の大学生は私達の“お父さん”であると、歴史上で学んでいると教えてくれる。外国人も国民も次々とこの独立の父の居宅を訪れ、涼しい森林の中の、大きな池の鯉を見物しています。
次に訪れたのは李朝時代の延裕寺内の桜閣で、池の中に突き出た一本の柱の上の仏堂です。でも今はその柱はコンクリートになって、その上に建設されています。子宝のお寺らしいが、自分達にはもう関係なし、下から拝んでいましょう。どちらの観光も暑い日照りを避けて、涼しく風がそよそよと吹いて来る森林の中を、気分よく見物出来て、二人には感謝でいっぱいです。お礼にベトナムの庶民の店で、遅めのお昼ごはんにフォー(お米で作ったうどんの様なもの)を一緒に戴きました。若く真面目な学生と楽しく語らい、見物できたことは、思い出が又一つ出来ました。
  ハノイ→フエ
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左=フラッグタワー    右=王宮門

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左=和平門    右=王宮を出た所に戦車が飾ってある

夕方待つこと暫く、旅行社推薦の写真だけで予約した夜行バスで、フエまでの長距離の旅、どんなバスが来るか不安でもあり楽しみでもある。やってきたのは2段ベッドの3列で、座席は横に成れない位のデコボコで、写真とは違いすぎる、これがデラックスバスとは、とんでもない、だまされたという感じ。もう仕方がないので諦めましょう。クーラーが入っているだけましと思いますが、それが寒い位強すぎる。座席で緩めることが出来ず、それに音楽というか大音響が喧しい。流石トイレ休憩の折に、誰かが注意してくれたようで、静かにはなった。満員の乗客は皆若い人ばかり、こんな年寄りは一人もいない。時折オフロードもあるが、大体はアスファルトのしっかりとした道路ですが、寝ることは出来ませんでした。腰痛にならないかと心配でしたが、幸い何ともなくありがたい。
早朝5時半頃から、両サイド田舎の田園風景が続きます。青々と主食のお米は元気に育ち、放牧の牛やヤギ達は草をのんびりと食み、ここにはベトナム戦争の痕跡はない。菅笠に天秤棒を重そうに担ぎ、何を売っているのかな、日本の昔の面影が在る。朝早くから懸命に生きて往く姿の美しさは、何処の国の人々も同じです。幹線道路には色とりどりの旗が閃いて、やはりここは共産圏、赤い旗が多い。フエの終点バスターミナルには14〜5時間掛かったでしょうか、タクシーでお目当ての宿に落ち着いた。旧市街の真中に有る、小さな宿の経営者の奥さんが、日本人であるのが気に入ったので、ここを選びました。2階の部屋はとても広くて気持ちが良い。
奥さんからの情報によると、次に訪れようとするダナンは、海のレジャーを楽しむには良いが、観光には不釣り合い。ホイアンの方がお勧めとのこと。ではそうしましょうとなる。ホイアンまでは、そんなに遠くないのでバスの予約、ホイアンからホーチミンまでは遠過ぎる。またあの寝台バスはコリゴリなので、ホイアンには空港がないので、ダナンからの航空のチケットを早めだが押さえました。此れで何だかホッとしました。
フエの主なる観光は、ベトナム最後の王朝である院朝が置かれた王宮である、世界遺産でもある。フエの町はフォーン川を挟んで新と旧市街に別れている。宿の女将さんが丁寧に城への行き方を教えてくれる。近くのベトナム名物フォーの美味しい店まで連れて行ってくれるし、美味しいエビ入りのフォーを注文してくれる。朝昼を兼ねた食事は美味しい物だった。地図に合せて歩き出し、チャンテイエン橋を渡り、緑地帯や公園などが意外に広く長く続き、暫くするとドンベ川を囲んだ大きな石垣と堀が見える。王宮門を入れば又内部にも堀が在る。その向うの池には巨大な鯉が群がっている。正面の太和殿は中国の紫禁城をまねて造られている。ベトナム戦争で大部分が破壊され、再建されたらしいが小振りでした。顕臨閣、延寿宮と続くが、矢張り戦争や盗難で昔の面影はない。でも何処からでも見えるフラッグ・タワーは、ベトトナムの独立を象徴しているようで、赤々とてっぺんの旗ははためいている。まだ未だ発掘と修復の途中であろうと察する。矢張り王宮となれば、中国の影響が大きく、フランスの統治の前時代なので、フランスの面影は少しもない。
昨夜はよく眠っていないのと、此の日差しの強さに疲れは倍増して、メインを見たので、もういいかなになる。帰りにマーケットを巡り、マンゴー、スイカ、ブドウを両手いっぱい買い込んで、宿で冷やして戴きましょう。宿で夕方までを休憩としましょう。
夕方には涼しい川風に吹かれながら、もっとお店の多い繁華街に行くが、ハノイほどもなく意外と閑散としています。途中屋台のサンドイッチ屋さんで買ってみたら、やはりフランスが統治していただけに、中型のバケットはとてもおいしい。縦に半分に切り、その中に食材を選んで入れてくれる、パンの表面の硬さと、中身のやはらかさが、パリで食したバケットでした。暗くなればチェチェン橋のたもとに、夜市が多く出るそうです。行って見たい気はあるが、そういう所が一番の危険ありと聞いているので止めにして、冷たく冷やした果物をいただきました。ベトナムの西瓜の甘さに吃驚、日照りの激しさが果物を甘くするのでしょう。日本では食べたことがない位の甘さでした。今夜は早く休みましょう。
  フエ→ホイアン
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左=ホイアン旧市街チャンクー通り    右=旧市街のハン川の畔

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左=来遠橋(日本橋)    右=ホイアン市場

フエの町も幾度か迷子になる、道の名前が何処に書いてあるのか、あったとしても読めないと思う。フエの宿はレセプションの女性も感じがよく、朝食は粗末なものでしたが、親切さが勝った気持ちの良い宿でした。この家の人々は鳥が好きなようで、庭の大きな木の枝に、黒と白の美しい鳥が、優しい声で鳴いています。去り難いとても良いところですが、もっと観光すべきところはあるでしょうが、時間がないので先を急ぐ。バス停までミニバンが迎えに来てくれる。又してもあの上下の3列並びのバスです。私達は終りに乗せられたので、最後尾の2階席、登るのさえ大変でエッコラサでその席に。矢張り冷房が利き過ぎて寒い、弱めることは出来ないみたい。これがデラックスバスの特徴らしい。途中にはダナンという街が在る。
ベトナム戦争当時、アメリカ連合軍の最大の基地がおかれていた。古くから東西交易の重要な良港であった。現在は観光化が進んで、巨大なリゾート地と様変わりしつつある。海岸には建設中のホテルが目白押し、道路も拡張される工事が多く、一方通行でバスは遅れがちである。以前訪れた時にはこの地で山を幾つも越えて、とても危険な峠越えを何度もした怖い思いをした経験がある、今は其処にすごく長いトンネルが出来ている。トンネルと陸橋は日本の得意とする分野だから、きっと日本が加味していると思っていたら、最後尾のトンネルには日本の旗印が堂々と彫ってある、最前の入り口にもあるでしょう。4時間掛かると言われたが、5時間半掛かりました。終点からリックを足元に置き、バイクに載せて呉れるバイクタクシーで宿まで行く。中国系の宿のようです、シャワーが水、戸も閉まらず、停電もある、最低な宿。ホイアンに2泊するので、もう1泊はもっと気持ち良い宿を、物色しましょう。3人の眼に適った宿を次の日の予約とした。
ホイアンの街は昔からアジアとヨーロッパの貿易の中継都市として栄えてきた。日本人街もあったらしいが、江戸時代の鎖国政策で日本人は帰国して、華僑の中国人達が住み始め、それからは中国人街となり、歴史が長いだけに、古い建築物には中国の影響が大きい。私達が泊まった宿から旧市街の観光化された古い街並みに行くには、歩いて30分掛かる、だから安いのでしょうか。安い悪いは別の事、安い清潔な宿を希望する、明日の宿を期待する。この町の名物の、ホワイト・ローズと揚げワンタンを戴いてみようと店を捜したら、泊まっている宿の直ぐ近くじゃないの。名物を戴くには格好の場所に泊まっている。此処なら暗くても安全と嬉しくなる。今日はホイアンに移るのに、昼からの時間を費やしたので、チャンフー通りと川沿いのバクダン通リだけを垣間見ることにしよう。そこまで行くだけで凄い観光客の多さ、人出を見に来たような賑わい。以前訪れたようなのんびりとした風情は何処に、すっかりと様変わりには唖然とする。日本人が造ったと言う来遠橋(別名日本橋)は屋根付きの小さな半円形の橋、橋の両側には猿と犬の像が有り中間にお寺が在る。下を流れている川が汚れていて、お粗末な事です。明日はホイアンの観光を1日するので、早々に宿に帰る。
今晩の夕食にあの名物をと張り切って店に入るが、此処にも中国人達が、横柄な態度で食事をしている。人の事を考えずに行儀の悪さは、どの国でも嫌われるのは成程で、大きな声でしゃべりまくる。もう少し静かに話してほしい。子供が泣くのをほっておかないで、小さい時から親が教えてほしいなと思う。名物も味を損ねてしまいそうです。期待したほどのものではありませんでした。本当に泊まった宿は最低でした。もう宿代は払っているのに、パスポートは返してくれないし、ベッドもギシギシ音がする。
次の朝、予約した宿に荷物を預け、旧市街に歩いて行く。朝は涼しくて気持ち良い。旧市街の観光案内所で、総合チケットを買わねば、歴史的な世界遺産の旧家屋には入れない。チャンフーとバクダン通りは、外壁を沈んだ黄色の壁の色で統一していて、あれだけ激しいベトナム戦争を潜り抜けて、よくこんなに中国風の古い家屋が残ったものだと感心する。総合チケットが家屋の入り口、で1枚ずつ破られていきます。古い家屋は間口が狭く奥が長く中庭もあり、京都の町屋の造りによく似ていますが、家財道具は矢張り中国のものです。天井が高く室内装飾の調度品が、歴史を刻み黒光りしています。夫々が貿易商、大きな漁師、官職の家などです。味わいのある中国の建築様式の数々を、沢山見せてもらいました。中国系の華僑の商魂逞しさを見る思いがする旧市街の家屋でした。観光マップを貰っても、番号が付いてないので分かり難い、観光に力を入れているにはお粗末ですね。ホイアンは如何してこんなに人気があるのでしょうか、この様に人ごみの中の観光は、ノスタルジイも何もあったものではなく、何かの買い出しにでも行ったようでした。川沿いを歩けば小舟に乗らないかとの誘いばかり。舟や馬は最初決めた値段と、終わって下りる時の値段が違い、怖い思いをしたことが有るので、それ以後は懲りて乗らないことにしている。
ホイアンの中央市場には興味が在る、行きましょう。大きな市場、何でも揃うのでしょう。海鮮類、野菜果物が採れたての新鮮さ、売る人買う人の掛け合いを、見つめるのが好きなので、此処では時間を決めて夫々が自由に見物して回る。此処でも私達は宿に帰る時には、果物を買いこんで宿で冷やして戴くのを、今晩の楽しみにします。相棒さんはビールを買っていたが、やはり日本のものが一番美味しいそうです。ホイアンの2日目の宿は静かで部屋も大きく、朝食は庭を見ながらゆっくりとしました。
朝食を終え、私達は又あの巨大市場に足を運ぶ。何も買いたいものはないのですが、この地の人が何を好み、何を食べているのかは、観光客が少ない早朝が良い。何時も土産は買わないことにしている。ベトナムはコーヒーを売っているところが多いのにはびっくりする。即席にコーヒーを作れる小さな入れ物を付けて、セットで売っている。帰国してコーヒーの生産国を調べてみようと。きっと生産は多いのでしょう、これだけ多量に売っていることは。
  フエ→ダナン→ホーチミン
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左=ホーチミンの中心街    右=ホーチミンの動植物園

今日はホーチミンへの移動です、宿でタクシーをダナンまでの空港を、頼んでいたので安心。あの寝台バスは老いの身に応えます。フエには空港がないので、ダナンまでバックしなければなりません。空路で1時間10分もあれば到着です。ホーチミンはベトナム戦争終結まではサイゴンと呼ばれていた。この国の最大の商業の中心地、高層ビルが立ち並び、中には個性的なビルも在る。大きな道路には車とバイクが溢れかえり、津波のように迫って来る。予約して居た最終日の宿は、大きな公園(9月23日公園)の近くにある。高級なホテルは敬遠している。眠ればよいとだけの宿は、小さな路地を入った所に在る。車は入ってくれない。此処もうなぎの寝床、間口が狭く奥が深い。冷房と冷蔵庫が有り清潔なベッドがある、小さなホテルですが満足です。公園は大きな樹林帯で、強烈な日差しを和らげてくれる。30分ほど歩けば、ベンタン市場に辿り着く。市場の付近の道路横断は信号もなく、慣れない私達には大変です。ゆっくり走らずに渡りましょうと思うのですが、つい走りたくなる。ヤンゴンのスーチー市場によく似ています。四方八方出入口が在る。売っている品物により別けられていて、観光客と見ればかけ値をして、ぼったくりをしているのでしょう。観光客に見られたくないけど、プロには直ぐわかるらしい”安いよ、何欲しい”と服を引っ張られる。此処にもコーヒーのお店が沢山ある。同じものを此れだけ多くの店が売っていれば、儲けが有るのかしら。足早に市場の中を通りすぎないと、拙い日本語で迫ってきそう。断るのが大変ですが、知らんふりしなければ、引き込まれてしまいそうです。矢張り果物だけは美味しいので買ってしまう。帰りは暑さも忘れる都会の中の緑いっぱいの公園を通って帰る。公園は多くの人々に安らぎを与えている。フランスの統治があったことで、この時代にこれだけの大きな公園が設計されたのでしょう。夕暮れの街は昼間と変わらぬ喧騒は続き、いつまでも静まりそうにはない。
次の日は、細やかな宿のサービスの朝食を済ませて、バイクタクシーで街中の見物も兼ねて植物園に行く。ドライバーさんの腰にしっかりと手を廻していなくては振り落とされそうです。途中19世紀に建築されたサイゴン大聖堂を見物する。やっと植物園に到着すると広大な敷地に動物園と植物園が共存していた。熱い日照りの中、動物はもうぐったりとして寝てばかり。週末には子供たちが多いかも知れないけど、今日はあまりいないようだ。
国土が南北に細長いベトナムの短い日数での観光は、駆け足の旅でした。いつの日かハノイに連泊して中国との国境近くの少数民族の村々を訪ねたいと思います。ベトナムは発展途上にあるとは言え、その速度は強烈です。この国では老人たちの姿をあまり目にしなかった気がする。働いているのは若い人が多く、そのエネルギッシュな働きは、この国の発展を象徴しているように思いました。
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