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初(はっ)ちゃんの世界紀行――吉田初枝
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タイの北部への旅 〔2016.05.19〜05.31〕
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 タイの国は世界中を旅するきっかけを与えて呉れた国、何度訪れても国民性の大らかさと清々しさは、忘れられない想い出を、沢山貰った魅力的な国です。南の方は駆け巡りましたが、今回は歴史と伝統もあり、自然の豊かさの中で暮らす少数民族の村を、訪ねたいと思いましたが、さて如何なる事でしょうか。
 タイは熱帯性モンスーン気候、1年が乾季と雨季とにはっきりと分かれ、5月は雨期の始まりらしい。日本の梅雨とは異なり、1日に少しの間の土砂降りの雨ありとか、思いあぐねていても仕方がない出発進行。格安チケットは深夜発、関空に3人集まり、タイ航空のジャンボ機で出かける。旅はバンコクをトランジットして、チェンマイから始まる。
 旅の最初日と最後の日はホテルを予約します。チェンマイの空港で、予約したホテルの方が迎えに来るとメールには書いてきたのに、何処を捜しても見当たらないので、タクシーでホテルに行くと、国際と国内空港との間違いであったらしい。お互いが謝り、事なきを得た。  チェンマイはタイの北部最大の都市、過ってのラーンナー・タイ王国の首都であった、古都の風情を残す京都のような都市。旧市街から離れているこのホテルは、昔の貴族の館を思わせる3階建て、庭が広く瀟洒な作り、チェックインには早いのに、入室させてくれる有難さ。大きな部屋に清潔なベッド、バスルーム、冷蔵庫も在る。よく気がつく従業員さん達、冷えたウエルカムジュースを戴く。旧市街の見どころをチェックしてもらい、宿の車がターペ−門前まで、送ってくれる。時間を決めて迎えにも来て下さる親切な宿。
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左=チェンマイのホテル     右= ホテルの裏 ピーコック・フラワー(別名ノキューム)

 旧市街はぐるーと堀に囲まれ、ピン川からは新市街となっている。有名なお寺(ワット)は旧市街に多数あり、チェンマイ市には小さな寺まで入れると、100以上あるとか。地図を頼りに先ずはワット・チェン・マン、歴史の長さはチェンマイでは一番、メンラーイ王が此処を都と定めた時、1296年に建設した。内部の装飾が美しく、仏塔には15頭の像に囲まれた基壇が在る。古びて苔むしている。次にワット・プラ・シン、此のワットは最も格式の高い寺院らしく、1345年プラ・ヨー王が父の為、墓として建てた、境内はとても広いし、屋根も外観も金色に装飾されている。巨大な仏塔が在るワット・チューデイー・ルアンを訪れる。1545年の地震で崩壊した仏塔が、半分になっているが、その迫力は迫って来る。旧市街には見物すれば限がないほどワットはある。沢山見ても記憶に残りそうもない、私達には此の位で十分と判断して、後は別のワットを、他の地でも見られるでしょう。
 タイの雨季は果物の最盛期、逃す手はないと思い、果物屋さんでマンゴーを買う。1キロ30バーツ(約90円)3〜4個、リックに入れて大切に持ち帰り、冷蔵庫で冷やせば、もっと美味しくなるはず、今晩のデザートは決まりです。チューデイー・ルアン寺の前にマンゴー・コーヒーの店があったので、マンゴーのシャーベット、切り身、マンゴープリンがセットになったのをオーダーすると、これは絶品でした。タイに来た甲斐があったと言って、皆で笑いがこぼれる。
チェンマイには本当にワットが多い。人々の心のよりどころ、生活に欠くことのできない習慣なのか、毎日の祈りには、長く大きな線香を頭上に上げて、頭を床に着けて祈っている。
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左=メーレム・オーキッド・ナタリー蘭園     中央=ワット・プラ・タート・ドーイ・ステーブ 山頂の仏塔     右=王様と王妃様

  チェンマイの郊外
 私達の泊まったホテルには広い庭園があり、昨夜はその片隅でバンドが来て、小さな音楽会を開いていた。昨夜の疲れと今日の歩き、暑さでぐったり、早めに休んでしまったので、聞き損じた。早朝、夕立があったらしいけど、気になるほどの雨ではなく、さっと逃げて行った。庭園には大きな樹木が茂っていて、合歓の木にそっくりな大木、赤茶色をした満開のピ−コックツリー、南国特有のプルメリアの甘い香り、夕立で洗われて、艶やかな一服となる。タイの北部だから、昼夜の寒暖差は15℃にもなる。夜には1枚多く着て寝るし、昼は晴雨兼用の傘を、リックに入れると安心です。
 昨日ホテルの方にお願いして、チェンマイの郊外を観光したいので、ドライバーさんと車を頼みました。8時間、4つ程の観光地、金額を宿の人の眼の前で取り決めて、メモをしたのを見せる。朗らかで真面目そうなドライバーさんがやって来て、サー今日の出発です。
 最初に訪れたのがメー・レム・オーキッド・ナタリーは蘭の栽培園、タイは蘭の栽培はとても盛んである。一昔前はタイ航空の乗客の全ての女性客には、蘭一輪をブローチにして、胸に付けてくれたが、或る時私は何時もショウトカットなので、寝ていたせいもあるが、そのブローチを戴けなかったので、後でクレームをつけると、大きなカトレアの花を、代りに持ってきた笑い話もある。此の蘭園は巨大規模で、品種の豊富さ美しさには眼が眩みそう、全て蘭は其の根の部分を鉢に入れず、吊り下げた状態で育てている。それほど水やりが難しいのでしょう。私も育てた事があるが、水を与え過ぎて根腐れを起して、枯れてしまった。温室が無いと育たたないと諦めていたが、水が原因だったと気がついた。別の温室には蝶を育飼している。蝶の好む花々の中に、蝶達が乱舞し乍ら、腐りかけのバナナが主食なのかしら、沢山置いてもらって食べている。蝶の好きな人に見せたいなー。
 そして次には植物園に行く。見たことのない珍しい植物、科目別に分けられた大きな温室で、育てられている様子が、観察できるように、説明が在る。そして山の方には、ジャングルを其の儘にして、中に長いつり橋を掛けて、歩かせてくれる。ボルネオでも経験している、今の流行かも知れない。お昼時になったので、チェンマイの名物を食べたいと願うと、道路に面した古めかしい大きなお店に、連れて行ってくれる。カオ・ソーイと言う(ラーメンのようですが、カレー味で揚げメンに、好みの具材が入る)薬味が辛く、好きには慣れない味でした。
 標高1080mのステーブ山の頂上に建つワット・プラ・タート・ドーイ・ステーブに行く。山道をぐるぐると登り、市内からは16キロ程あるらしい。麓まで車で行き、待ち合わせ場所と時間を決めて、私達は狡いと思ったがエレベーター登る。チェンマイ最大規模の寺でもあり、神聖な寺でもある。この寺の黄金の塔は、太陽の光を受けて眩しく輝く、タイの人々の信仰篤き心が、感じられるお寺です。土足厳禁で、靴を脱がねばならないのが、億劫でした。展望台よりチェンマイが、一望のもとに見渡せるのは、気持ちの良い事です。下りは歩いて下りましたが、参道の階段は両側を、2匹の竜神が守っていました。メキシコと同じであることには,びっくりしました。階段に小数民族の服装の子供達が、遊んでいます。“一緒に写真撮ってモデル代を下さい”。大人の勝手で学校にも行かせず、弟妹の世話をしながら、小銭を稼ぐ子供達を、どう見て良いのやら、戸惑う気持ちでした。
 帰路市内のマーケットに寄ってもらい、私達はあの忘れられない美味しいマンゴーを買って帰る。相棒さんは今が旬のドリアンを買う、多分ホテルには持っては入れないだろう、今は中身だけを切り売りしている。ゆったりとした造りのホテルは気持ちがよく、泊り客は居ないのか、やけに静かだなー。
  チェンマイ→チェンラーイ
 もっと北のチェンラーイに移動する。バスで4時間弱らしい。私達は早朝何時もの癖なのか、ホテル付近を散歩する。このホテルは旧市街からは、地図上では歩いて15分、車は一方通行が多く、矢張り15分位かな。高級住宅地の外れにあり、セキュリテイのガードマンが常駐している。各家庭の庭が広く、季節の果物、花々があり、今はマンゴー、ジャックフルーツ、バナナ、レモン、ザクロ等たわわに実り、収穫する人が無いのでしょうか、地面に沢山落ちている。地域の中心に池があり、鯉や小さな魚が悠々と泳いでいます。そこに集会場が在り、夫々が音楽に合わせて、太極拳の様な体操をしています。鳥達も沢山、プルメリアは密かに、何処からか匂って来る。2日間は変わったメニューを朝食には戴いた。
 チェンラーイ行のバスターミナルまで、ホテルの車が送ってくれる。VIPバスは高級らしいけど、期待外れになるのが常の事、でも現実はかなりデラックスなバスでした。席も広く、クーラーも入っている。ミネラルウォーターとブドウパンが配られました。バスはよく整備された高速道路を順調に走る。この国は農業国らしく、豊かな田畑や森林地帯が続きます。家屋は小さく高床式の平屋建てが多い。どの家庭も敷地が広く果物、花々、野菜を植えている。ホームセンターのようなお店には、植木、花類を売っているのをよく見る。風景を見ながら、半分は眠っていると、少し家屋が詰まってきたなと思うと、其処がチェンラーイのバスの終点だった。さてホテルは何処かな、地図が見にくい。仕方ないのでツクツクに乗ると、ほんの直ぐ近くだった。便利だけで選んだホテル、1人朝食付き600円程、ベッド、ホットシャワー、昼間のクーラーそれだけあれば満足。今日は冷蔵庫無しだが。この町の中心を歩いてみる。矢張りチェンマイよりは小規模、私達が目的とする,少数民族の村を訪ねるのには、この地をベースにするのが一番と思う。旅行社を何社が当たってみたが、信用の置けない答え方をする会社も多いようだ。明日のゴールデン三角地帯に行くツアーを選んで、その次の日を、少数民族の村を訪ねるツアーを予約する。2日間を他のホテルの日本人2人と御一緒になるらしい。フルーツマーケット行き、ライチ、マンゴスチン、マンゴーを買う。矢張りマンゴーが好みです。突然凄い夕立に会う、どしゃぶりを店の軒先で待つこと15分、屋台の人も慣れた事、急きも慌てもせず、透明のビニールを被せて知らん顔。
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左= タイ側の国境     右= タイ最北端

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左= タイとラオスの国境     右= タイとミャンマーの国境

  チェンラーイ〈2日目〉→メーサイ→チェンセーン→ゴールデン三角地帯→チェンラーイ
 ツアーのバンは予定時間にホテルに迎えに来て、他のホテルの日本人2人を,拾って出発する。郊外は豊かな農村地帯、国土の大きさ、南国特有の1年中の豊かな自然が齎す恩恵は、人々の大らかな性格は、大自然が与えることに、その根源が在るのではないか、とさえ思われる。見るからに貧しい村々にも、金ぴかの仏像やお寺が、向うの山の上にも次々に在る。仏教はこの国の北の外れまで浸透して、心豊かにしているのかも知れない。畑のお百姓さん、通学する子供達を眼にすれば、思わず笑みがこぼれる楽しみを、与えて呉れる。
 タイとミャンマーとの国境を接するメーサイに到着する。イミグレイションの事務所は,大きなゲートの下にあり、審査員の姿が見える。タイとミャンマーの国民は,パスを持参すれば自由に出入りできる。観光客は入国手続きをして、パスポートを預け5K以内なら、その日のうちに帰るべしとか、年々変わるそうです。ゲート近くは両サイドに、双方の国のお土産屋さんが犇めき、呼び込みの声が、煩いです。私達をある程度の時間,自由に散歩させてくれる。そして早めの豪華なレストランでの、お昼のバイキングに連れて行ってくれる。晩御飯も一緒に、御腹に入らないものかな、食後ゆっくりとしていたら、昼近くになれば中国のツアーの観光客たちが、どっと押し寄せてくる。ギャーギャーと大声がして、どうにかならないのでしょうか。丘の上に日本人の戦没者の碑が、黒い御影石に”南無阿弥陀仏”と彫られています。小さなお寺がありますが、地震で壊れかけています。
近くの展望台からはミャンマーとタイの国境を一望に出来る。サーイ川を挟んで小さな舟が停泊している田舎町、以前観た時は、もっと舟が沢山あって、森が連なっていた様に思う。今は中国資本がミャンマーと組んで経営する、カジノのビルが建っている。時代の推移は、国境だからか、顕著に現れているのが、寂しくおもう。タイ側の国境は、タイの動物の象徴である象や、金ぴかの仏像、そして現国王夫妻の大きな写真が飾られて、ミャンマーと競っているようにも見える。
タイ、ラオス、ミャンマーの3国が国境を接する地点(ゴールデン・トライアングル)に行く。地点には又多くの土産物屋さんが連なっている。観光客が写真を撮っているけど、感激は無い。此処は以前、麻薬の取引で名高い場所でした。山奥でケシ畑を栽培して、アヘンを作る一大生産地で、国の大きな収入源であった。オピウムの博物館が在って、その歴史やアヘン吸引の道具や秤、密売のボスだったクンサーをビデオで説明してくれる。ケシの造花の花畑の中で、昔にはアヘンが、中国のアヘン戦争を起こし、タイでのアヘン汚染の実態を聞きながら、麻薬の生産地としての有名さが、皮肉な事に今は観光化している。
チェンセーンの帰路はワット・チェーデイー・ルアンに寄ってくれる。廃墟の様な公園の中にあり、八角形の基盤の上に18mの苔むした塔がある、タイ人の好みではないだろう、落ち着いた色彩になっている。旅行社まで無事に帰り着き。町中を通って、夕食をテイクアウトして、小さなホテルに帰り、シャワーを浴びると、どっと疲れが出る。
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少数民族のキャンプ地

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左= リス族     右= カレン・カヤン族

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左= ヤオ族     右= カレン・カーヨ族 耳たぶを長くする

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左= アカ族     右= 茶園

  少数民族の村を訪ねる(チェンラーイにて3日目)
 チェンラーイから西へと車は急ぐ、通り過ぎる車は、ほとんどが日本のメーカー、多分現地生産しているのか、日本では見かけない型式です。日本のメーカーを見るだけでも嬉しい。タイには少数民族は未知数だが、70万人以上が、タイの山奥の国境から、数百年の年月を掛けて、チベット、ミャンマー、中国、ラオスから色んな理由で移動して来て、独自の文化を守っている。今は観光化されて、その風俗習慣を失いつつあるが、私達が予約した旅行社は、その民族の村に、行ってくれるらしい。期待すればがっかりすることが多いので、何時も期待は止めましょう。1時間30分位走ると、赤土の地道になる。そこからは曲がりくねった道を行けば、貧しい小さい村がある。
そこはリス族の村、チベット系でカラフルな衣装が特徴らしいが、民族衣装は表の軒下に、吊るされている。地鶏が沢山飼われていて、人間から餌を貰おうとして、一目散に駆けてくる。首に赤、青、黒の印が付いていて、何方が持ち主かを示している。14歳位の少女が、幼い子供の面倒を見ている。保育の役目なのでしょう、大人は農園に働きに行っているらしい。鶏、子犬、大人の犬達が村の中を走り回り、日本の明治、大正の時代の田舎でしょうか。もう1軒の台所は、土間に色んなものを其の儘に置いて、マキで煮炊きをしている。少し不潔だなと思っていると、先の少女が手作りのアクセサリーを、一抱え持って来て、買ってほしいと、追っかけてきました。これは現金収入の一つでしょうか。
次に訪れた村はアカ族、アカ族は中国系、日本人の顔立ちによく似ていて、シルバーで作られた独特の帽子を被っている。この暑い日中、おんぶされている赤ちゃんまでもが、小さな帽子を被りながら、背中で寝ている。民族服とは言え、汗疹が出来ないかと心配する。
赤土の細い道をもっと奥地まで、車は進んでいくと、お茶の巨大生産地に行き着く。中国資本がタイ政府と、合弁で此の茶園を経営している。其れが証拠に・・・公司となっている。昔のケシ畑をお茶の転作に、余儀なくさせられたのでしょう。山奥には焼畑農法が、今も見られる。黒焦げ山地が所々あるし、黒い柱の様なのがズラーリと立っている。何年か過ぎれば、また元通リの農地になるのでしょう。緑の新芽が付きだしているところも有る。根さえ残れば樹木は再び生きかえる。私達は大きな茶問屋さんに連れて行かれ、試飲をさせてくれる、 ウーロン茶が主流らしいが、此処は薬剤を控えているので、中国からの輸入より質は良いと、一緒の日本人が教えてくれるが、矢張りお茶は、日本茶が自分には合うので、買いたいとは思わない。純粋な蜂蜜を求めました。近くでタイの北の名物のお昼を戴くが、ワンタンと餃子だったのでがっかりした。其の食堂に現王様と母親の、若かりし頃の大きな写真が飾ってありました。母親はこの地の出身らしいけど、西洋の血が入っていると教わりました。そんな感じの美しい人です。確かにそういわれれば、タイの国王様は、タイ人離れした容貌です。
山の傾斜地には陸稲を見る、耕した土地にリズム的に、何かの道具で穴を掘り、左手で種を入れて、足で土をかぶせる。反対の斜面は一家総動員で、トウモロコシを植えている。適当なリズムを奏で乍らの作業は、観ていて楽しいものだ。この辺りでは今、小さなパイナップルが最盛期、取入れに忙しい。この小さなパイナップルはとても甘いので、この地で食べねば腐るらしい。フルーツマーケットでは、直ぐ食べられるように切って、串を挿して売っている。普通のパイナップルは、ジュースで飲むらしい。
バックしてチェンラーイ方面の途中に、少数民族の集まりのキャンプ地がある。観光化された集まりらしい。本当の村ではないが、竹が支柱で広い葉っぱで屋根をふき、其れらしく建っている。其処に観光客用かな、立派なトイレが在るので、ツアーのお客さんの休憩場所として、呼び込めるようになっている。賢い誘導の仕方だな。
少数民族の中で、多数派はカレン族、其の中も、5つに細分化されている。特徴のあるカヤン族は首長族である。3歳から真鍮製のコイルを首に巻き、大人は5Kにもなるそうだ。その理由は昔、トラからの襲撃は先ず首からなので守りの為と、カヤン族の男性達に、首が長いのが美しい女性と、美意識を洗脳したからと。現在は観光化された為、コイルを巻けるのは、眉目秀麗の女性だけが選択されるそうだ。私は重しの為に首が長く為ると、勘違いしていた。肩の骨が落ちるからだと知りました。又カレン族には、耳たぶを永く伸ばす、カレン・カヨーの親子が居た。それにしても、何と酷い族の風習であるな。もう少しキャンプの中を奥に行けば、ラフ族、(チベット系で黒を基調とした、まるで忍者の民族服。)ヤオ族は(中国系で、赤いレイを首から下げている。)私達が広場に進むと、急に店を其の儘にして、民族が集まって来る。大きな竹の筒を地面にぶっつけて、単純な踊りの様な事をして、観光客を招き入れる。他の観光客は楽しんでいました。そして箱の中に寸志を入れて下さいだった。少数民族に生まれて、彼らは如何思っているのかを、聞きたい気がした。人は皆、親を選べず、自然のあるべき姿なのでしょう。人の幸不幸は多種多様であり、考えも及ばないことでしょう。
ここからスコータイに行きたいが、直接のバスは無いとかで、もう1度チェンマイに帰らねばならないでしょう。またあの心地よいホテルに予約をしましょうか。
  チェンラーイ→チェンマイ
 チェンラーイで泊ったホテルは、粗末でしたけど、バスターミナルに近く便利だけでしたが、私達には有効でした。近くを散歩しても、田舎町はごみごみして居て、騒々しいばかり。今日はチェンマイのあのホテルに、帰れると思うと嬉しくなる。VIPバスは時間の都合で 乗れないので、普通のバスで行きましょう。止まる回数が多いだけの事で、かなり清潔なバスでした。チェンマイへの戻りは、1度通過したところですから、何となく余裕がある。タイは北部でも、年中暖かいので豊かな農村地帯です。焼畑農法はこの地の独特な事でしょうか。土壌もよく肥えて何を植えても良く育つようです。
 懐かしいチェンマイのホテルに電話をしていたので、ホテルの車が迎えに来てくれている。よく冷えた西瓜ジュースを戴いて、今回は1階の部屋、荷物を置いて、旧市内を観光に出かける。もうワットは沢山見たので、ウインドウーショピングし乍ら、チェンマイの人々の暮らしぶりを見て回る。路地を行くのは楽しみの一つ。道を聞いても親切に教えてくれる。
日本のラーメンを戴いて、マンゴーを買って、いそいそと帰りのんびりとする。お気に入りのホテルは気持ち良いものだ。
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左= ワット・マハータート     右= ワット・トラバン・トーン     右= ワット・マハタート

  チェンマイ→スコータイ
 チェンマイの気にいったホテルの近くを、早朝もう1度散歩する。今満開時の柿色をした、大きな花を沢山付けた大木が気になる。沖縄で見たデイゴの木によく似ている、ホテルの従業員さんに聞くと、ピーコック・フラワーと教えて呉れて、花弁を自分の爪に貼って見せてくれる。近くにはこの花の大きな木が沢山見られる。プルメリアの甘い匂い、マンゴーやザクロが風に揺れる。閑静な高級住宅地です。朝食を少し早めにお願いしていたのですが、きちんと守って下さる心憎さ、有難いと思います。
 スコータイ行のバスは、順調に進む、此処にも焼畑農法は顕著に見られる、熱帯であること、大地が広くなければ、この農法は出来ないのでしょう。タイの北部ではこの方法が、ベストなのでしょう。高床式の小さな家が多く、花も果物も広い敷地に植わっている。貧しそうな村にも、煌びやかな屋根と大きな仏様は何時もあります。本当に仏様は、こうしてくださいと望んだのでしょうか、後の関係者が勝手に造ったのではないでしょうか。タイの仏教は北の隅々まで浸透している。宗教の怖さも良さも持っているのでしょう。ウトウトしている間に6〜7時間でスコータイに着く。
 バスの助手さんが、気を利かせて、オールドタウンの真ん前で降ろしてくれる。歴史公園前の、古めかしいホテルを得る。レセプションの受付の方は、ニコリともしないむっつりとした方。クーラー、ホットシャワー、できれば冷蔵庫、この3つが有れば後は如何でも良い。 スコータイはラームカム・ヘーン王の時代が全盛期で、繁栄するが140年間を過ぎて、徐々に衰退して、アユタヤの属国となる。クメール文字を改良した、タイ文字もこの時代に考案された。この王朝時代の寺院の遺跡を、訪ねようと思います。一息ついて、昼を戴き観光へとくり出した。
 先ずは自転車を借りましょう、乗り心地良くないけど、暑い日照りの中をヨロヨロと、大きな城壁の中に入る。
最初はワット・マハータート、王室の寺院の中でも一際大きく、中心にあって池も4つもあり、仏塔も宮殿も美しく、石柱がズラーと並んでいる。仏様の顔が、独特の顔をしているのが印象的でした。次はワット・トラパン・ングン、大きな長方形の池が有り、無数の白鷺の楽園となっている。仏塔には蓮の花の上に、仏様がお座りになっています。気持ち良い風が吹いて来て、此処で寝転んで涼みたいと思いました。ワット・トラバン・トーン、大きな池に橋が架かっていて、自転車は入れない。池の中の小島に、仏塔と礼拝堂が建てられていて、永居している観光客かな、読書しながら寝ています。ワット・シー・サワーイ、3つ並んだクメール式の仏塔は、ヒンズー教の神殿として建立されたが、後で仏教寺院になったので、仏教寺院とは全く似ても似つかない形となり、台座の内部には、入れるようになっている。まだ小さく崩れかけた仏塔は沢山あったけど、暑さで疲れて沢山見ても頭に入れない、此れ位にして、赤い壁の外に出ました。
明日のアユタヤ行のバスを聞きに行く。旅行会社のボスが、軍隊をリタイヤーした方なのか、現役の頃着ていた勲章のいっぱい付いた制服を、真ん前に飾っている。明日のアユタヤ行のバスのチケットを買う。明日の事も準備が出来た。ニュウタウンへ行って見ようとなり、ツクツクを手配して行くと、結構現代的な町でした。スーパーやマーケットが沢山あります。珍しいものに興味ありで、屋台のお好み焼きの様なものをテイクアウト、相棒さんはセブンイレブンで、夕飯のものを買っていました。矢張り静かなオールドタウン泊で、良かったのでしょう。
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左= ワット・ローカヤー・スッター     中央= ワット・プーカオ・トーン     右= アヨータヤー水上マーケットー ナマズ

  スコータイ→アユタヤ
 アユタヤ行のバスは、バンコク行で、私達は途中下車なので、乗車の際にはアユタヤで降りますと、はっきりと意志表示をして置かないと、通過されると困る。乗車すれば直ぐに、水とおやつが配られる。どこかのレストランで、昼食も戴けるらしい。
バスはクーラーが利き過ぎて寒い位。南に向いて下がっていくので、両サイド稲作が盛んである。稲が黄金色に実り、隣の田んぼでは田植えをしている。此処は何毛作なのでしょう。土地は休みなしだと、痩せてしまうらしいと聞いている。北の方面と同じく、突然金色の仏様やお寺が現れる。人々の信仰心の表れで、自分の収入の多くを、お寺に寄進しているのだろうか。タイの国民は金色がお好きと見える。自分の国を信用できない時には、貯金よりも金を貯めるらしい。中国も同じ事があるらしい。7時間位掛かったでしょうか、アユタヤで降ろしてもらう。何だかよくわからないところで降ろされて、店も無ければ人もいない。
やっと一人のご婦人に会う、その方のお知り合いの若い御方が、車で中心街の希望するホテルまで送って下さる。こんな親切な人もいるものだと感激し、お金を拒否されたが、無理矢理に、心ばかりの寸志を握らせた。
古いけど大きな庭のある清潔なホテル。今日はアユタヤまで来るのに時間が掛かって、明日観光をしようと、ホテルの小母さんに、ツクツクを午前中借り切って観光をさせてくれる人を、予約してもらう。私達は中心街で、マーケット巡りをして、夕食をテイクアウト、辛いが庶民の食べ物を試食する、このホテルの庭には、大きな亀が居て、涼しい夕風を、楽しみました。
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左= 王宮     右= ワット・アルン

  アユタヤ→バンコク
 朝食を終えると、ツクツクの運転手さんは待っていた。雨季とは言え、朝からからりとした良い天気。先ずは3人の王室の守護寺院、ワット・プラ・シー・サンペット、アユタヤの象徴らしい。黄金の仏像はビルマとの戦いに、失われてしまった。3基の仏塔が並んでいます。青空の下、歴史を語るワットは静かです。ワット・プーカオ・トーン、周りを水田に囲まれ、一際高い仏塔、最上階に2.5Kの黄金の珠があったのに、盗まれて今は無く、其処がテラスになっていて、アユタヤ郊外が見渡せる白い仏塔でした。ワット・ローカヤースッターは、草原の中の寝姿の仏様、破壊を怖れたか、レンガ色の衣を羽織っている。ワット・マハータート、矢張りビルマとの戦いで破壊されて、ほとんどの寺院が崩れかけたレンガの塔となっている。仏様は全て頭を切られていますが、一つが木の根に埋まり、あたかも木から生まれたような様子に、なっているのは不思議でした。栄枯盛衰の象徴を表している寺院でした。お昼近くになると、水上マーケットに行く。沢山の小舟が池を取り囲み、小舟の上で店を切り盛りしている。屋台では色んな種類の食事を提供して、直ぐそこの食事所で戴ける。もうワット巡りは、沢山だと言う思いもあり、今回はバンコクに行く鉄道駅まで、送ってもらう。
駅に着いて、予定時間になっても、何時まで経っても列車は来ない、多くの人々がバンコク行を待っている。結局1時間半待たされた。これが何時ものタイの鉄道時間の常識らしい。これではバスの方が、人気があるのが当然です、国が経営しているので、持ちこたえているのでしょう。2時間30分位でバンコクに着く、その間大きな騒音の中、タイの人々を見つめ、とんでもない人が居たり、日本人の留学生と話せたり、運賃が驚くほど安いのも吃驚するけど、楽しむ事も出来た。
以前定宿にしていた、中央駅近くのホテルに、昨晩電話で予約して居たので、レセプションはスムースに、このホテルのオーナーの奥さんは、今も健在だ。向うは覚えてないでしょうが、若き日の面影が残る。ドアーボーイさんも覚えている、彼はこのホテルに32年勤務しているそうです。帰りにはチップを渡してあげようと思う。久し振りなので全てが懐かしい。此処のレストランが、とても美味しかった想い出があったので、試してみるが、料理人が代わったのでしょうか、それとも自分の口が奢ったのでしょうか、それ程ではない。明日はバンコクの市内を観光して、デパートにでも行って見ようかな。
3人で近くを少し散歩するが、この辺りは問屋さんが多い、金物、タイヤ、電気や水道の部品等、労働者は上半身裸の人が多い。6階の大きな3人部屋、久しぶりにゆっくりできそうです。
  バンコクにて
 最後の日だから、もう少し気分良いホテルにしましょうと、中心街に引っ越しをする。通リから、少し中に入っているので分かり難い。中心街に歩いていけるので、選びました。今までで、一番ベッドとシーツが清潔でバスルームも広く、見晴らしも良い。庭が広くそこを囲むように建設されていて、池には沢山の鯉が泳ぎ、鯉達が人の動きに付いてくる。餌を撒いてくださいと言われ、池の水すれすれに撒くと、指に吸い付いてくる。木陰の庭の心地よさ、爽やかな風が何時も吹いてくる、少し高級のホテルはやはり楽ですね。
サー出かけましょう。この国で最も尊く崇められている王室寺院を訪れる、王室と宮殿、博物館などが、広大な敷地の中にあります。テロを警戒してのチェックはあるが、私達は早めに着いたのに、それでも観光客の多さは普通ではない。王室の本堂にはエメラルドの仏様がいらっしゃる。以前はワットの入場券に含まれていたのに、別料金を払わされるらしい。其れでも沢山の人が並んでいるので止めにする。小さな旗やアクセサリーをなびかせて、派手な服装で大声の大群の中国の観光客、多勢の中には日傘を挿している、危ない事極まりなし、”危ないので傘は止めて”と叫びたい。時間が過ぎれば観光客を見に来ているようなものに、嫌気がさして、次のワット・ポーに行く。巨大な仏様の寝姿に圧倒されて、此処にも凄い観光客の姿、益々何だか嫌になって、のんびりとしたホテルに帰りました。
タイは北の外れまでも、もう少し若かりし頃のプーミポン国王と王妃の大きな写真を飾っているのを、よく見かける。シリアでもアサド大統領の写真が、デカデカと街角ごとに飾られていた様に、国民に尊敬を受けている方を崇めて、関心をそちらに向かわせ、軍事政権は、自分達の思惑のままに、政治を行っているのではないかな。何時の世にも、表と裏が有り、早くそこに国民を向かわせるべきだと思った。
ホテルの朝食は3種類から選べて、中々の美味しさでした。夕方出国するので、半日分を支払う。早めに散歩がてらワット・アルンに行く。大河チャオプラヤーの対岸にあり、川岸の連絡船に乗れば直ぐに倒着する。大仏塔はヒンズー教の聖地、カイラサー山を模したらしい。面白い事には塔の表面には、陶器の破片や精巧な装飾が施されて、観る者を驚きで圧倒する。朝に夕にキラキラと輝くこの塔を観たかった。時間が経つにつれて、ここでも大声をあげて、多勢で押しかけて来る中国人、中には被り物をしたイスラム教徒も居る。どうしてもっと静かに観光をできないのでしょうか、他の人の事を考えていない。世界中で一番嫌われているのは、中国人らしい。子供の頃に両親が、躾をしない世代なのでしょうか、今一度考えて欲しい事です。
昔船着き場には、すごく活気のある市場が在って、魚介類や野菜、フルーツが、沢山売られていましたが、今は閑古鳥が鳴いています。こんなところにも、時代の流れは、容赦なく押し寄せています。
バンコクのデパート東急とマーブンクローンセンターに行って見る。何処からこんなに人が集まるのかしらと思う程、超満員の人出、買いたい物もなく、早々にホテルに帰りました。のんびり過ごし、シャワーや荷物作りをして、夕刻には空港へ、大阪向いて出国する。
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