マルセイユ 昨夜遅くに着いて何も見ていない。次の日、磯の香がする旧港のベルジュ埠頭へ。早朝より水揚げしたばかりの魚の朝市は、売る人・買う人々の賑やかさ。何処も同じく活気に満ちている。物悲しく暗いイメージを想像していたが、やはり南プロバンスは暖かい気候。きらめく陽光に人々の心の中まで明るく感じる。マルセイユは、紀元前より地中海貿易の拠点として発展してきたが、その歴史は他民族の侵略と発展の繰返しにより築かれ、歴史の名残りはこの町に沢山見ることができる。ローマ‐ビザンチン様式のノートルダム‐ド‐ラ‐ギャルドバジリカ聖堂が小高い丘に見える。バスで細い坂道を登っていく。丘には白・黄・紫、名も知らぬ花が咲き乱れ、マルセイユの町から地中海の彼方までも。「岩窟王」に出てくるイフ島もすぐそこに見える。漁港だけあって、航海の無事を祈るこの町の人々に愛される守護人である。聖堂の塔の上、金色のマリア像はキラキラと輝いていた。
下町風情を味わうつもりで旧市街に出かけるが、古いビルを改修しているところが多く、道路工事で掘りかえされ、歩きも大変で情緒も何もあったものではない。町の東のロンシャン宮へ住民は親切に道を教えてくれてありがたい。繁栄時のロンシャン宮殿の玄関がみごと。鳥が羽根を広げた華麗な姿の左右より滝が流れ、市民の憩の場となっている。途中で買った大きなネーブルをいただき、ほっと一息。カモメが沢山遊んでいる、カラスより多い。
アヴィニヨン
列車でアヴィニヨンへ。フランスの列車はシニアーの割引きで格安となる。列車よりの景色は、豊かな丘陵地帯の広がり。日照時間に恵まれ、農政もしっかりしているのだろう休んでいる土地はない。ブドウ・オリーブ・麦が多く、まだ幼いがきらめく光とやさしい風を受けてスクスクと育っている。眼に入るすべてのものが、明るくやさしい自然の美しさを感ずる。芸術家を魅了したプロバンスの景色なのだろうか。サントル駅に降りてすぐ、大きな城門を通らねば旧市街に入れない。城壁がずっと続き、アヴィニヨンは中世の城壁の町である。二泊するので慎重に親切そうな宿を選んだ。すぐに明日の近郊のラベンダーツアーを予約して、今日はこの町の観光をすべく散策へ。サン‐ベネゼ橋(アヴィニヨン橋)は、歌で何故か昔より聞いていたので知ってはいたが、実際を観たい。ローヌ川の氾濫で半分しか残っていないが、さすがに観光客はここぞと押し寄せて来る。私たちはドン公園の坂道を上がり、丘から遠い昔より何事もなかったように緑に包まれてたたずむ橋を何時までも眺めていた。でもそのうち人の出入りのない山道を下り、ローヌ川の川岸より小船で、対岸のバガテルよりアヴィニヨン橋を眺めて、大聖堂・美術館を向こうにアヒル親子と一緒に歩き、もう一つの新しい橋を渡り、近くのスーパーに寄って夕食の買い物。宿の主人より熱湯をもらって即席の日本米。
アヴィニヨン近郊(サン‐レミ‐ド‐プロバンス、レ‐ボー‐ド‐プロバンス、ドーデの風車)
法王庁宮殿は広い。日本語のイヤーホーンを借りて聞きながらでは時間がかかりすぎる。かつてローマ法王の宮殿は、要塞の如く強固に造られている。無駄なところ華美なところはない。部分的にフレスコ画がリアルな色彩で繊細に描かれていた。フランス革命で破壊と略奪に遭い、ゴシック建築としては傑作だが内部のものはない。昼からのツアーを予約して安心していたら、チケットを買わなかったのがミス、もう売り切れだと。他のツアーで三つのプロバンス村に行く。カマルグ湿原地帯を通り、ドーデの風車見物。、昔の城主が今ではブドウ畑やオリーブ畑での収穫物を、ツアーの折に寄らせて販売しているワイン工場に連れて行ってくれた。個人ではなかなか足を運べるところではなく、豊かなプロバンスの田舎巡りができて幸せだった。ラベンダーの花はまだ咲いてないそうで、これでよかったのだと納得した。
昨日アルルへのバスターミナルも時間も調べていたのに、その時刻になってもバスは来ない。どうしたのだろうか。分からないが、即、列車に変えて、アルルに着く。田舎駅にはコインロッカーはなく、近くのホテルにザックを預けて、旧市街へ。ラ‐マルティ広場よりカヴァルリ門へ。ゴッホとゴーギャンが住んでいた下宿は、今はホテルになっていて黄色の小さな建物だ。保存状態のよいローマ遺跡だという円形闘技場に行くが、修復工事が行なわれていて、足場が危険だらけ。屋上はハトの巣いっぱいで汚い。サン‐トロフィーム教会は巡礼路として多くの巡礼者を迎えたらしい。ここの回廊には、すべての柱に施された聖書の物語をみごとに彫刻されている。庭園のバラが咲きかけていて、心安らぐロマネスク様式の教会だった。隣に古代劇場があり、防虫服の職員さんが雑草と格闘していた。日本人の若者と意見が合って、ゴッホの絵に描かれた「はね橋」を見にタクシーで出かける。復元された新しいヴァン‐ゴッホ橋には、日本人ツアーのお客さんが沢山いて、その多さにびっくりした。
モンペリエ
列車でモンペリエへ。駅前は工事中で大変騒がしい。もっと静かな学園都市を想像していたのに。便利な場所に、古いが清潔そうな宿を見つけた。色鮮やかなトラムが走っている、由緒ある大学の町とあって若者達の姿が多い。ファーブル美術館は休み中らしい。コメディ広場一帯に歴史的建造物が残っている。フランス国民はメリーゴーランドという幼い子供達の乗り物が好きらしい。ちょっとした広場でよく目にする。子供心をくすぐる乗り物には違いない。旧市街地を抜けたところに凱旋門が建ち、遊歩道が続く。私たちはおいしそうなパン屋さんを見つけて食べ比べてみたり、批評しあったり、観光と味を兼ねた散策になる。貯水場からのプロムナードは、市内を見下ろす高台にあり、快いそよ風を受けて、アベックや犬との散歩道は鼻歌気分。水道橋が880mのアーチになって続く様子はなかなかのものだった。夕食は夫々が自分の好きなものをテイクアウトしていただく。ほっとする一息。
カルカツソンヌ
南フランスに来て以来、どこにでも綿のようなものがフワフワと飛んでいる。ブルガリアでこれはマロニエの花と教えてもらったことがある。トチノキの一種だと聞いているが本当だろうか。今回もずっと綿の小片は飛んでいる。カルカツソンヌの駅に着くちょっと前から、丘の上にずっと大きな城の連なりが、おとぎ話に出てくるように突然現われる。ローマ時代から、周辺の地理的なことで戦略的に二重に城壁を巡らせた城塞都市である。「城壁都市=ジテ」の中のユースホステルを望んだが満員だった。観光都市として人気があるだけに、ホテルは高いので安い宿探しに苦労したが、何とかシテの近くに見つけた。シテの中、コンタル城は難攻不落の城であったであろう。五つの塔をもち濠を巡らせたところ、攻撃用の足場や銃の窓、石落しの仕掛けも、日本の城にもあるもの。城壁に登れば、ブドウ畑とカルカツソンヌの町が見渡せる。本当にフランスの人々はブドウ酒を好む国民だと、今さらながら感心する。ロマネマクとゴシック様式の美しい聖堂は必見の価値ありで、正面左右に広がるステンドグラス、円花窓は見ていると夢の世界に引き込まれそうだ。中世そのままの中での現代の人々の生活を、垣間見る思いがする。宿の主人が、城がライトアップされるので観に行くようにと教えてくれるが、ライトアップは好みでない。夜は闇の中にあるのがよい。人が無理に、明るく人工的に観光化しなくてもよいのにと思っている。
トウールズ
シテの眺めをオード川に架かるボン‐ヌフ橋より、二人でしばらく観ていた。旧市街地で朝市があると聞き、トウールズ行きの列車に乗る前に歩いて行く。マルシェ(市場)には旬の農産物、魚貝類、果物、各家庭で作ったチーズやジャムなど、住人でいればすぐにでも買いたくなるのに、でも果物やチーズを求めてビタミン補給する。地図によれば、ミディ運河がトウールズまである。それに乗りたいと思ったが、誤っていた。単なるその町だけのクルーズであった。フランスでは、田舎はとくにバスの便はなく、列車が多い。国によるが、スペインではバスばかりに乗ったことを想い出していた。トウールズは「バラ色の町」と云われているほど、ビルの壁のレンガが夕日に輝く様が美しい独特の色をしている。学生の多い町だから、ファッションのお店と食堂が多い。八角形の鐘楼のあるセルナンバジリカ聖堂の回りで、のみの市が催されていた。覗いてみるとつまらない物ばかり、拾って来たのではないかと疑いたくなるものばかり。オーギュスタン博物館は彫像が数多く中庭に野菜や花がよく育っていた。ジャコバン修道院の礼拝堂は、クモの巣のように広がる模様の天井アーチが印象的で、イスラム教の建築物に見るものを何か感じた。
「Hotel de Vella」と書いてるのを中心街でよく見るし、ベラホテルかなあ? とか国旗をかかげているし、政府かその市関係の庁舎かな? 後で聞くと市庁舎だった。今日もよく歩いた。地図をコンパスで確かめ、恥を捨て人に聞く、目的地に何とか着く。
ルールド
ルールドもアルルも、発音が悪いのか通じないので書く以外にないが、曜日により列車のダイヤも違ってくるので、2時間程度の待ちぼうけ。ガロンヌ川を散策していると、困った顔をした日本人の方が、銀行のチェンジマネーができずにいたので、私たちが小額を融通した。リタイヤー組さんに、この旅でも何人かに会う。この方も絵画が趣味なので、田舎巡りしてスケッチしておられるらしい。ご一緒したいが、中央山塊の方へ行くそうだ。「残念ですネ」で別れた。今日はピレネー山脈にお目にかかった。遠くの雲の上に、一列に並列するピレネー様に久方振りで感激。ルールドはカトリック最大の巡礼地。世界中の人々が、とくに病を持つ人達が、奇跡を信じて礼拝に来るところ。聖母が現われた洞窟には、今も泉が湧いていて拝みに来る人々でいっぱい。静かに並んで待っている人々は、肌の色も眼の色も違った人ばかり。お水をペットボトルにいただいて、マリア様からしたたり落ちる水滴で顔のシワを伸ばしてくださいとお願いしたけど、急なお願いにさぞかし困惑されたことだろう。
聖ピオ10世のバジリカ聖堂を仰ぎ見る形で、三層になる大聖堂はキリストの生涯を大画面いっぱい。鮮やかに、とくに金色を使って描かれ、宗教とは人の心をゆさぶる如くにうったえている。一種異様な聖地となっているようだ。ツアーのお客さんの多さに、何故か有名な観光地化してしまったような気がした。
ポー
ルールドの賑わいを逃れて、列車でポーに着く。駅前にケーブルカーがあるはずなのに、今日はこの町の坂道を利用してサーキッドが行なわれ、すごい人出。古いスポーツカーやクラシックカーの展示にも人出が多い。ピレネー大通りとあるように、遠くにその山並みが見え、人々は遊歩道に沿ってサーキットも楽しんでいる。高台に町が築かれたので、こんなこともあり得るのだろうが。ブルボン王朝の創始者のアンリ4世が住んだ大きな城が残っている。もっと静かな田舎町を期待していたのに残念だった。山間の町だから朝晩の寒さはある。朝日に輝くピレネー山脈の眺めは曇りがちの天気で望めなかった。
オロロン‐サント‐マリー、カンフラン、ハカ
フランスとスペインにまたがる一帯は、バスク地方といわれている。独特の言語、風俗が今でも存在していて、現在も一つの国家として独立運動もある地に踏み込んだ。ポーの駅よりオロロン‐サント‐マリーを目指す。RとLの発音の違いでオレゴンと駅員さんが言うので何度も聞きただす。バスに乗り換えて国境沿いのところから、小型のジープに乗りパスポートチェック。そして1640mのソンボルト峠、登山(冬山の)服装の方は、ここから歩きでスペインに入国するらしい。私たちも迷った。歩きで越えたいが、ザックが重いので自信がない。くやしいが安全策をとり、スペイン領のカンフランまでバスで行く。そこでハカまでどうするかと待っている折、アメリカ人のケビンさんに会いご一緒させてもらう。JACAと書きハカと読むのは難しいが、何の情報もないものの城壁があり、その中の古城は陸軍の駐屯地となっている。おもしろいことに、城の庭に鹿が何匹か飼育されていて人馴れしている。ピレネーの白き山々を眺めて、近くのスーパーで食料を買ってケビンさんとピクニック。彼こそコンポステーラまでこれから一ヶ月ほど巡礼をするらしい。ポカポカ陽気に包まれて、可愛いい鳥の声を聞きながら、サンドイッチやリンゴとミカン。幸せ者たちだなと気分壮快。
パンプローナ
ここの地元の人々は、首に赤色のネッカチーフを付けているのが多い。何か意味があるのだろう。察するに、団結の意味かな? かつての王国の首都として栄えたこの地は、多くの歴史的建造物が残っている。カスティーリュ広場は牛追い祭りで(ヘミングウェイの『日はまた昇る』で有名になる)市役所前から出発する真前にあり、ヘミングウェイが毎朝通ったカフェもある。作曲家のサラサーテの名の通りあり。道が迷路のように入込んでいて分かりにくい。スペインのカフェ=「パル」とか「バー」とあるいっぱい飲み屋さんの便利さは、旅行者にとってとても利用しやすい。ちょっと疲れお腹がすいた時には、コーヒーと小さなスナックをいただくレストランとなる。すし屋さんのカウンターのように、目の前に作った物があるので、指させばすべて事足りる。沢山はいらないのでこれくらいの量で充分だ。 カテドラルはロマネスクとゴシックの様式があり、あまりの金ピカの祭壇に圧倒されそうで、金はそんなに貴重なものでしょうかと疑問に思うことだらけ。もっと静かな落ち着いた色彩ならよいのに。ケビンさんと今日でお別れ、会うは別れの始め、巡礼者には貝殻の印が必要だと、彼に頼んで買わす。彼もしぶしぶ理解してくれて、求めていた。これから先の苦難を思うと、彼の為にどうか健康でと祈らずにはいられない。
パンプローナの食堂の三階の宿をチェックアウトの折、宿の方がどなたもいなくて、カギを返すことも、料金を支払うこともできない。隣のカフェの方に頼んだが、確かに届いたか否かを心配している。
サン‐セバスチャン
フランス国境近く、王妃の保養地として発展してきたらしいが、理想的な扇状に広がるコンチャ湾の美しさ。今までこんなに美しい処はなかったような気もする。山好き者は高見にすぐ登りたくなる。ウルグル山頂のモタ城の巨大なキリストが町を見おろしている。近くの漁村から少しずつ登り始める。日本の山でもよく見る野草が、似ているが少し違っていたり、鳥達も人を怖れず可愛い声で鳴いている。頂上にある城はやはり要塞の役目をしたのであろう。ビスケー湾に向って大砲がずらりとある。湾の中の小島の様子も、対岸のモンテ‐イゲルドもすべてがよく見えて“絶景かな”である。夏にはコンチャ海岸はさぞかし海水浴客で混みあうだろう。私たちは欲深い、ここまで来た以上、対岸の山側からもこの眺めを堪能しようと考え、バスで近くまで行ってケーブルカーで登る。頂上には展望台や遊園地あり、ここからの眺めも、曲線を描いた海岸と丘に広がる町並み、波が打寄せる岸壁の荒々しさ、いつまでも見ていたい風景だった。漁村だから、お魚の新しいのをいただきたいと思ったが、夕食は各レストランとも21:00からだそうで、どうしてそんなに遅くにと呆れる。しかたがないパルのツマミで満足しよう。夜には外出したくないし、早寝に限る。
ビトリア
バスク地方の中心地、大きな町である。ここまでの途中、幾つ山を越えただろうか。狭い山道に工事用の大きなトラックがゆっくりと器材を運ぶのに遇う、バスの運転手さん離合できずイライラしているのが伝わる。観光コースを歩く、古い建築は緑の多いこの町に似合っている。サンタ‐マリア‐カテドラルがすばらしいとポリスが教えてくれて、期待して行くと今は修復中で中に入れない。どうしてそんなことも知らないのかとポリスに腹が立つ。でも、その付近にバスク地方独特の昔建築がずらりと残っている、町を歩いてもおいしそうなケーキ屋さんが多い。甘い物とブドウ酒が好きでは、あの体型になるのも無理はない。久し振りに、星ありのホテルに泊まる。安いが便利なところにあり、造りがユッタリとしていた。
サラゴサ
バルセロナに近づく。サラゴサに行く。列車は時間がかかり二回も乗り換えるとか、やはりスペインはバスの便が一番よい。バスで3時間。ブドウ畑の広大さ、太陽の恵みを受けよく育っている。鮮やかなポピーが緑とのコントラストで農村地帯に色を添える。久し振りに、スペイン料理の定食をこの地で頼むと一人前が多量。もったいないが残さずにはいられない。バスのなかでもレストランでもスペインの人々は大きな声でよく話す。ずっととどめなく、相手の話を聞いているのかな? 一緒に自分の主張をしながらよく話しができるものだと。身振り手振りして表情が豊か、私たちとはずいぶん差があるように思われる。
スペイン広場をめざして、エプロ川周辺の見どころへ、この町のメインはピラール聖母教会、内部は巨大である。人々の信仰篤き表れだろうか、内部の木彫や大理石の彫刻には息を飲むほどのすばらしさ。ルールドと同じようにここにも奇跡があったらしい。中学生ぐらいの生徒が集合している。何かの集会かな。宗教が学校教育にも取り入れられているらしい。久し振りの若人の敬虔な姿に清々しい気持になる。エプロ川からこの教会を望めば、彩色タイルの丸屋根もあり堂々とした美しさ。ここサラゴサの人々の誇りであろう。
バルセロナ
バルセロナに移動する。やはり大都会だ。バスターミナルも沢山あって、自分がどこに降りたかを確かめることから始めなくてはならない。地下鉄は便利だが、自動が多く戸惑うことが多々あり。中心街のランプラス通りの日本人経営のオスタルに決める。近くの大きな市場は生鮮食料品が満載。市場の食堂ぐらいおいしいものはない。食材が新しいことと、すべてプロの味。星ありの高級レストランよりずっと気楽でおいしくて安い。ここではやはり主婦の気持ちになってしまう。宿(オスタル)の経営者が自分の生きてきた様を語ってくださり、私たちも色々と考えさせられる人生観だった。
アンドラ
ピレネー山脈の東、小さな王国があると以前から聞いていて行きたいなと思っていた。1993年、正式に独立国となったらしい。バスで3時間ほどかかる。チケットを買う時、パスポートを必ず持参するように約束させられるが、アンドラに入国時は検査も何もなく、見慣れぬ旗があるなということだけ。標高は如何かな? 坂の多い町。アンドラは免税の国で、ショッピングと冬はスキー、夏は避暑のお客で賑わうそうだ。メイン通りはブランド物の店や電化製品、スポーツ用品でいっぱい。こんなはずではなかったと少々ガッカリした。買い物には興味がない。
私たちは裏山に登る。傾斜が45°以上もあろうかという急なもの。段々畑に牛馬が放牧されている。岩登りに適した岩壁もそこらじゅうだが、落石や山崩れはないのだろうか、大雨で地盤は大丈夫なのかと心配すれば住めない。ここには今までその恐怖例はないのだろう。スパやレジャー施設、ホテルも建設中が多い。山の中腹まで、細い道にも花々が咲きかわいい彫刻や古めかしい田舎風の家々、家の中までも見える暮らし。草花を作ったり、野菜を育てたりして老後の暮らしにはいいなと思う。小さな教会で結婚式があったらしく新郎新婦が写真をとっている。見かけた車は通る時におめでとうの意味を込めてブーを鳴らして通って行く。ピレネー山脈の中、岩山も豊かな大自然に抱かれた盆地。大きなクレーン車が掘削し、まだもっと巨大な観光地にしようとしている人間達を、自然界はどう思っているのだろうか。もう少しこのままにして欲しいと願うのだが……。次の日の朝も、山道を登る。小さな教会の木彫りのマリア様とイエス様の像に心魅かれる思いがする。
ルールドの教会のような金箔に満ちたものより、土の匂いのする静かな雰囲気のあるほうが気持ちが安らぐ。ハイカラな住宅や、アンドラ独特のテラスがあって大きな梁と鱗状の屋根瓦のもの、のんびりと滞在したい町だった。
ピレネーの山懐を後にしてバルセロナに帰り、やっと市内観光へ。ランブラス通りの港、コロンブスの像が指差す先はアメリカだろうか。オリンピックが開催した折に、ずいぶんこの港は近代的に様子を変えたらしい。本日は日曜日、市内の店やデパートは皆お休みなので、港のショッピングモールに人々は集まって来ていた。中心街のこのランプラス通りにパフォーマンスのアルバイトをしている芸人の多さにびっくりする。こんな沢山の人々が、食べられるお金を稼ぐことができるのだろうか。
モンセラット
バルセロナは、以前に二度ぐらい観光しているので、今回はモンセラットに行きたい。郊外からこのノコギリ形の山は気になっていた。スペイン広場より列車が出ている。1時間で着き、すぐにロープウェイで中腹の大聖堂のある広場に。土産物屋やホテル等が並んでいて、今や昔のベネディクト会の修道院は観光地となっている。毎日ミサが行なわれていて、私たちが訪れた時に丁度始まったので失礼して居させてもらう。男性テノールのすばらしい聖歌を聞かせてもらった。聖職者達の姿は、どの方々も悟りを経験し現世から遠くにいる人々の穏やかさを見る思いがした。ナポレオンの侵略にも土地の人々に守られた黒いマリア様がこの御神体。とっても小さいマリア様なのが印象的だった。大聖堂は色彩も造りもどの聖堂よりも最高によい雰囲気だった。展望台より小さなハイキングコースを巡る。遠くから見るとノコギリのように鋭く思った山容が、近くでは風雨で丸くなっていて、いろんな想像できる形になっおり、面白くてお腹をかかえて笑うのもあった。
天候に恵まれ一度も傘いらず。失敗もあったが、多くの人々に助けられ無事に旅を終えた。18日間、相棒さんありがとう。 |