初(はっ)ちゃんの世界紀行――吉田初枝
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ルーの旅  〔2009.4.14〜5.1〕
 南米のペルー、遠いナ。いつかと思っていたが決心がなかなかできなかった。幸い4人の力強き個性豊かな相棒さんが揃う、今だと心は決まる。遠いからと避けていたのでは、向こうからも年甲斐もなくと敬遠されるのが落ちだ。4月、ペルーのセマナ‐サンタ(聖週間)が終わってから出発する。
 成田よりヒューストンでトランジット。やっとペルーのリマの空港に深夜到着する。リマの市街の明かりは不夜城の如く、光の中の海。どんな旅が待っているのやら、密かに思う。停電の心配はないらしい。
 今回の旅のメインはマチュピチュの世界遺産の観光と、そのバックのワイナピチュ登山であった。そこに行くには列車でマチュピチュ村まで行くしか方法がない。それならば列車を予約しようと、いろんな方法でアクセスするが出来ない。クスコの旅行社にメールを送っても列車だけの予約は受付けてくれず、当日券もあるが数枚とかで、私たちは5人なのでそれも難しい。列車を何日も待たされたのでは、無駄な日を過ごすことになる。現地のツアーに入るのを最後まで悩んだが、メインのものを決めなければ次に進めないので、クスコ行きの航空券とマチュピチュの観光(列車往復と宿)を1泊だけ予約した。
 後で分かったことだが、クスコの旅行社が列車のチケットを全部位押さえて、自分達のツアーに入らせて、多くの観光業に連鎖的にお金が落ちるようにしむけているとか。最大の税収のドル箱は政府も横目で知らん振りをしているのでしょう。少々腹立たしく思うが、これもペルーのやり方、どうにもできない。
 私たちはリマより早朝クスコに飛ぶ。眼下はアンデス山脈を次々と越えていく。緑のジュータンの濃淡の上を飛んでいるよう。クスコの町は褐色の屋根が幾何学的に並んだ美しい町。標高3400mぐらいなので高山病の心配ありで、朝からダイアモックス(高山病予防薬)を飲み始めた。今日一日は身体を順応するつもりで、ゆっくりの行動をしましょうと相棒さん達と約束をする。
 ツアーでセットされた宿は、旧市街の中心地アルマス広場のすぐ近く。スペイン式の町造り。広場を中心にレストラン、土産物屋、ホテル、旅行社等が四角にずらりと営業していて、治安の為かポリスが多い。野良犬も沢山いる。広場の中心にずっと放射状に坂道が続き丘の上まで続いている。暇があれば散歩したいと思う。カテドラルとその東側の教会に入ったつもりが、外部は教会の造りだが、内部は大学なのはびっくりした。  私たちのホテルもスペイン風に、真中が屋根付きのパティオの広場があり、明りとりになっていて、その四方を囲んで3階まで部屋がある。明日は憧れのマチュピチュに出発なので、1泊の為のサブザックに必要な物を入れ準備をしたり、近くの土産物屋をひやかして散歩する。夕刻には日本人に有名らしいレストランで、おいしいと噂のある大きなコロッケを戴く。じゃがいもがペルー原産であるが故か、本当に美味しくて大正解でした。


 マチュピチュ遺跡
peru_09_1マチュピチュ遺跡
 さあ、今日はテレビでよく見る人気一番の世界遺産にお目にかかれると思うと気持はワクワクする。私たちはポロイ駅より出発する。バックパッカー族の列車なので、坐れればよいなと思っていた。全席指定で強い日差しあり、後ろ向きありで、希望は適わない。速さは自転車ぐらいかな。ゆっくりで急傾斜にはスイッチバック方式で、段々とウルバンバ川沿いに下っていくので標高が低くなっていく。両側に農業中心の田園風景。豊かな田舎村が続いていく。ときおり雪を抱いたアンデス山脈の峰も顔を出した。約3時間30分位だったかな。
 マチュピチュ村(アグアス‐カリエンス駅)が終点。私たちは今晩のホテルを確認してから昼食をとって、水・カメラ・タオルなどを身につけてシャトルバスで30分。あのジグザグロード(ハイラム‐ビンガム‐ロード)を登って、マチュピチュの入口に到着し、これからが遺跡見物である。
 5人が迷子にならぬように、ゆっくりと。棚田というかそのスケールの大きさ、見張り小屋から丘を登ると空中都市とはよく言ったもの。標高2940mのマチュピチュ山(老いたる峰)とワイナピチュ(若い峰=2690m)の尾根にあり、麓からは見えないのでこの名前がついたのかも知れない。この遺跡全体を現実に見渡せるところで、みな写真を撮っている。本当に絵のような風景。ワイナピチュ山に白い雲がかかり、神聖なる土地という気持になる。明日はあの遺跡の裏に垂直に立つ岩峰に登れるのだろうか。たぶん登山道は螺旋状になっている。心配になってくるが、誰も口にはしない。
 急ぐと息切れするので、なるべくゆっくり歩いて遺跡の内部を見物。それぞれに名前が付いていて水汲み場、王女の宮殿、太陽の神殿、陵基、三つの窓の神殿、インティワタナ等々、インカ帝国がスペイン軍の侵略によって滅亡しても、この都市は密林に覆われたジャングルの中にあり、400年もの間スペイン軍に見つかることもなかったのは不思議です。インカ文明が謎だらけで、解明されていないことが多いらしいのは、文字がなく書き物が残っていないからだそうです。これ以上謎解きをやめて、ミステリアスのところが多いほどよいのにナと思う。
 インカ橋の方にリャマが放牧されているので、近くまで会いに行く。白・黒・茶の三色で混じった毛色もある。草食で気性はやさしい。触れても何もしないし、顔はラクダに似ている。リャマはアルパカより大きく、首がしっかりしていて首の毛がカーリーしている。耳が後ろに倒れるのがアルパカ。リャマとの区別は少しずつわかってくる。
 私たちは明日の登山の情報を教えてもらい、あのジグザグロードを下って宿に戻る。マチュピチュの都市を観光できた喜びは、自分にとり長年の憧れでしたので、感激は深いものです。明日は4時起きだが暇があるので、この村を散策する。宿の前にはウルバンバ川が濁流となってすごい勢いで流れる。少々音が気になる。線路沿いには小さな土産物の店が軒を連ねている。同じような店ばかり、生計はたっているのかしら。温泉もあるらしいがプール感覚とか。レストレンが多く、遊び心からピザを食べて、その折にピスコ‐サワーと書いてあるのを注文した。色がレモネードに似ていたので、おいしいと思いいただいたが、アルコールが入っているとか。階段を下りる時に足がフラついて、びっくりした。


 ワイナピチュ山(2690m)
peru_09_2ワイナピチュ山の頂上近く(今回の旅の五人)
 モーニングコールで4時起き。5時には朝食のバイキング。とっても豪華なものだったが、時間のないのが残念。バスのチケット売り場に買いに行くが、今朝は違うところで売っていた。5時30分のバスに乗り、またあの九十九折れのジグザグロードをマチュピチュの入口へ。早朝は霧が立ち込め、桂林のように幻想的な雰囲気。でも少しずつ晴れてきているので、雨の心配はなさそう。遺跡の中を若い人達は走っている。聖なる岩の方面にワイナピチュ山への登山口があるので、遺跡の中を横切らねばならない。登山できるのは朝と昼の部に分かれていて、1日に400人だけらしいので、皆その番号札をもらうためにこうして早く着きたい。
 私たち5人も登山口に名前を書いて、番号を貰ってヤレヤレです。7時より登山は始まる。垂直にそそり立つこの岩峰は、さて手におえるのか否か。最初は下りがずっと続く。これは帰路が大変だナと思う。ぼつぼつと登りが続き、階段があったり、地道ありで、しっかりと足場が確保されている。浮石もなく、ちょっと危険なところには鎖ありで心配はない。周囲の美しい景色の広がりとともに、日本ではお目にかかれないラン科の花が次々と顔を出す。珍しい色や、おもしろい形の花々もあり、楽しみは尽きない。若い人々が多い。もしかして私たちが最年長者グループかも。歳相応にゆっくり登り、もう二度と訪れることなかろうと、この一歩一歩を踏みしめながら登りました。1時間ちょっとの登り。頂上のちょっと手前に岩場の胎内潜りもあり、山頂は巨大な岩場、若い人に引張ってもらい岩場を換わってもらってひとときの感嘆を味わう。相棒さんありがとう。わが健康にも感謝です。またしても空中都市のマチュピチュの全貌を下に見てつくづくとその有難さを心に留め、遺跡の細かい説明より、この壮観な景色を覚えておきましょう。
 遺跡よりバスでの下りのあのグッバイボーイはいなかった。政府が止めにはいったのかな。クスコの帰路はバックパッカー列車ではなく、ビスタドームという少しだけ高級な列車であった。軽食もあると待っていたが、お粗末なもの。でも列車の中でファッションショーがあった。列車のスタッフさんが美男美女だなあと思っていた。彼等がアルパカの毛糸で編まれたセーターやカーディガン・ショール等を着て歩き、車内販売するのです。商売熱心さには驚きです。


 クスコ市内
peru_09_3アルパカを連れたインディヘナの親子
 私たちはこの旅のメインを終えたという安堵感と、このクスコの町(標高3399m)の高地に身体がすっかり慣れてきて、いつもと変わりなく快調。でも朝食の時にはコカ茶をいただくようにし、持って歩くお茶にもコカの茶葉を入れている。クスコはインカ帝国の首都であった。16世紀にスペインの侵略で目ぼしいものは全て略奪し、破壊したが、石組みの枠を集めたこの技術のすばらしさはそのまま残っている。クスコの観光はこの石組みの技術を堪能することであったかも知れない。
 スペイン統治時代、宗教はカトリック教を強いて、その影響は今日まで続き、インカ時代の土台上に教会を建て、人々は篤き心で敬っている。アルマス広場の中心のカテドラルには朝早くからミサが行われていて、大勢が祈っている。私たちは神妙に帽子をとり、邪魔しないように見物する。教会には何か荘厳な空気があり、ひとときの静寂を与えてくれる。教会は旅する者には有難い存在です。安らぐ休息の場です。100年もかけて建築された内部は繊細にして重厚。銀を300トンも使った祭壇はすごい。宗教画の「最後の晩餐」のテーブル上のご馳走がネズミであるのが少し気になった。アルマス広場にはインディヘナの人々の独特なスタイルの民族服で歩いている人々も多い。野良犬も多いのが気になる。
 石垣のみごとさは(継ぎ目にかみそり1枚も入らぬとか)インカの石材建築はすごい技術だ。精巧な石壁に囲まれたアトゥンルミヨク通りは、少し黒目勝ちの敷石と、巨石の壁。中でも12角の石が有名らしい。近くの人々がすぐ教えてくれて、「触ってはいけないヨ」と注意してくれる。石壁の続く細い道々のコーナーには、アルパカを連れインディヘナの子供や婦人が「写真を撮って」とシャッターを切れば、手を出してモデル代1ルソを要求する。家計の足しにするのでしょうが、子供は学校に行っているのだろうかと気になる。道は狭く車は一方通行で、通れば両端の少し高い歩道?(30cmくらい)にかけ上がり通り過ごす。人々の生活を沿道から少し覗けるのが楽しい。地元の人々のマーケット(メルカド)に入っていく。新鮮な野菜や果物、肉が売られていて、インディヘナの人々が多い。婦人達は年寄りも若いもなく、派手な色使いの丸く膨れ上がったスカートをはいているのが気になる。中にペチコートでも付けているのだろうか、聞いてみたいが失礼かな。ポルトガルのナザレでこのスカートと同じだったことを思い出す。私が若い頃にポニーテールとこの膨らんだスカートは流行っていた。マルマス広場から上へと登っている庶民の住居地は、インカ時代から引き続いている石畳。手作り市(観光客目当てかな)があり、小さな土産物を少し求めては金額のかけ引きを楽しんだ。ある人がケーナ(縦笛)を自分で作って売っていた。あの悲しげな音色は魅力的である。リマでケーナのCDを捜してみようかなと思う。


 クスコ郊外
 私たちは昼からの観光ツアーを頼んでいた。多くの観光客と一緒に大型バスに乗り込む。クスコでは、遺跡に入場する際の周遊券を観光客は買わねばならない。その度に入場チケットを求めるより手間は省けるが、日本円で4000円ほどと、とっても高い(クスコ市庁ヨ 遺跡保全の為に使ってヨ、役人さんの裏金にしないようにネ)。
 まず近くのサント‐ドミンゴ教会(太陽の神殿)。ここにはインカ民族の信仰の対象である太陽像が、輝いた神殿であった。インカ帝国を滅亡させたスペインがこの神殿の黄金をすべて持ち去って、ここにカトリック教会を建築したが地震で崩壊した。でも土台の石組みはそのまま残り、今は修復してかつての姿に戻りつつある。ツアーは各ホテルより申込の人々を拾っていくので、ぐるぐる回って行く。この教会は遠いと思ったが、私たちが泊まっている宿のすぐ近くだと後で気がついた。
 サクサイマン(要塞跡)。ここにはジグザクの壁のような巨石が長く続く。その丘に登れば、クスコの町が一望できる。クスコを守りたいが故に、80年もかかって、このような強固な要塞を残した。
 ケンコー(インカ帝国の祭礼場)。プカ‐プカラも要塞の役目をしていたらしい。
 タンボ‐マチャイは聖なる泉とか。この水の起源がいまだに分からないらしい。この泉には少々歩いて行ったので、寒いし息切れがすると思えば、3760mの地だった。ツアーには無駄な時間が付いてくる。暗くなったので早く宿に帰りたいと思うのに、帰路は必ずお土産物屋さんに寄る。ドライバーさんもガイドさんも、ここでお客さんが買った金額に対してリベートありなのでしょう。今日もよく歩いたなあ。私たち5人組は皆さん元気で言うことなし。近くのレストランで昨日いただいたコロッケが大変美味しかったので、また欲を出してもう一度同じものを注文。相棒さん達は席に着けば即座にセルベッサ(ビール)。大瓶のセルベッサは美味しいものらしい。
 聖なる谷巡り。今日は丸一日を聖なる谷と呼ばれているウルバンバの谷に行く。やはりツアーが一番手っ取り早いので予約する。日曜日はピサック市場が開かれているので今日を選んだ。まずはピサック市場を目指すが、その前にももう少し小ぶりの市場に寄る。6000m級のアンデス山系の山々に囲まれたインカ帝国時代から続く生活や暮らしが残っているらしい。マチュピチュの遺跡を目指す折には、日本のツアーの会社はクスコより標高が低いので、高山病を避ける意味で、ウルバンバの村に1泊するのが常道手段らしい。私たちはもう無事に終了。
 ピサックには大きな市場がある。昔はインディヘナ(旧住民)達の物々交換の場だったらしいが、今では海外からの観光客目当ての商売へと様変わりしてしまった。小さな一区切りにはあらゆる物が売られ、民芸品も様々あり、所狭しと並べられている。売り子さん達のインディヘナの民族衣装がすばらしい。来る価値はある。この村の丘にはマチュピチュの小型がある。その石段がすごい扇型になっていて、先に登っている人々が豆粒のように見える。あそこまで行かねばと自分を励ましながら一歩一歩登る。周囲には斜面をしっかり利用した段々畑が続く。丘の上まで遺跡はしっかりとあり、ミニチュアのマチュピチュだった。このハードな登りが頂上では爽やかな風を経験できる。下の眺めが箱庭のようで、インカの聖なる谷と呼ばれる所為も分かる気もする。
 バスは静かな小さな村を通り、やさしい稜線の山々に囲まれ深い谷を通ってウルバンバ村に着く。ここは年中暖かく、クスコ市民の保養地らしい。ペルーのフォルクローレの音楽の実演を聞きながら、久しぶりにバイキング料理のご馳走をいただいた。
 昼からはオリャンポ遺跡に行く。下からその階段を見てギョッとする。またしても石の階段。ハーハー息を吐きながら登り、ここもインカ帝国の要塞であったとか。頂上には巨大な石が並べてあり、表面が輝いている。何の為にこんな丘の上まで、どこからどうしてとか謎だらけとか。とにかくインカ帝国の時代に関しては石組みの技術はどの時代においても比べようもなく優れていた。
 チンチローに寄る。この小さな村はアドベ造り(石と土をこねた壁)だったらしいが、スペイン軍の占領で破壊された。今でもまだ残っている部分がある。谷間には棚田が美しく続き、インカ時代からの灌漑用水や下水道が使われている。人の生活には水が一番大切なことを証明している。できればこんな村に1泊して、もっとこの村の人々の生活を見たい気がする。私たちにアルパカの毛を、自然から草・木・実の染め方を実演してみせてくれる。帰路の車の中ではペルーのフォルクローレを実演してくれるサービスありだった。クスコの町に近づけば、その明かりが規則正しく鏤めた星のようです。この国の電力事情はしっかりしているのを証明している。


 プーノ
peru_09_4プーノへ向かう(ラ‐ラヤ峠 4335m)
 私たちはプーノに移動する。バスと列車ありだが、列車は週に3回、バスは毎日数社が運行している。最初から長距離になるのでデラックスを狙う。途中何度か下車して観光し、昼食付きというバスを選んだ。
 ペルーの南アンデス山脈の中央に位置して、標高3855m、クスコよりももっと標高はある。クスコ滞在で身体が慣れてきていると思っている。相棒さん達は毎晩元気よくセルベッサ(ビール)が飲めることは健康なる証。心強いことです。
 バスは列車の線路沿いに並行して走り、日干しレンガの小さな家や村が点在する広い農地地帯を通る。最初にアンダワイリーヤス村に立ち寄る。バロック様式の教会で、前庭に大きな三つの十字架がある。住民が小さなマーケットを開いている。次に神殿跡が存在するインカ時代の遺跡ラクチへ。私は湿地に住んでいる奇妙な鳥を見に行き、その方がおもしろかった。昼食はバイキング方式の豪華版。昼からは列車の駅もあるラ‐ラヤ峠(4335m)を越える。ちょうど向こうから貨物列車が黒い煙を吐きながらクスコに向かうのに出くわす。皆カメラを向けていたが、どんなフォトが撮れたかな。ここからは大草原の中の一本道。遠くにはアンデス山脈。そして、なだらかな近くの山々の稜線。すごい数のアルパカ・リャマ・羊等の放牧地帯が続く。山岳地とその平原の広がりはこの国の広大さを示し、いつまでも見ていたい。対向車もなくバスはグングン速度をあげて走り、プカラ博物館を見物し、交通の要所フリアカに近づくと沼地もありで、地元の人々の服装がクスコとは大分違ってきている。とくに婦人の帽子が黒いパナマ帽になってきた。そしてティティカカ湖も遙か、その巨大さを現した。私たちは便利なピノ広場近くの宿を選んで落ち着いた。今日は8時間ほどの移動でした。近くに中国料理があるのを相棒さんが見つけてくださり、私たちは久しぶりの美味しいお米料理に出会う。そして明日のウロス島のツアーを予約する。私はフォルクローレを聞きたいので、宿近く行くことができるライブの場所を確かめた。


 ティティカカ湖の島巡り
peru_09_7ウロス島とトトラ(葦船)
 外から見ると小さな宿と思ったが、部屋の造りも大きく余裕ありで、静かで至便なところ。シャワーの湯もしっかり出る。ここもスペイン風中庭が明り取りになっている。朝食付き1人1600円ぐらい。リーズナブルでOKです。

 ウロス島
 今朝はウロス島とタキーレ島巡りのツアーに入った。富士山より高い位置にあるとは考えられない。琵琶湖の12倍とか。湖にペルーとボリビアの国境もある。私はチチカカ湖と思い、おもしろい名前、日本の父母と勘違いも甚だしい。本当はティティカカ湖らしく、語の意味は(ピューマの石)らしい。 湖の桟橋近くには、いつもと同じ土産物屋さんがびっしりと並んでいる。私たちはモーターボートに乗せられて、先はウロス島へ、トトラという葦が群生している間を通り、水路がウロス島へと導いてくれる。葦を積み重ねてできた浮島なので、歩くとユラリとする。世界中の観光客が珍しいもの見たさに訪れるものだから、彼等も心得たもので、この島を模型や本物でしっかり説明してくれる。全てがトトラでできている家も舟も土地そのものも、ここに住んでいるのは古い民族のウル族で、やはりインディヘナとも顔立ちが違っている独特性を持っている。台所は屋外だし、彼等の住居の部屋の中まで見える。でも家具なしで内部は乱雑に散らかり不潔そう。トイレやシャワーはどうしているのかな? 私たちは小額を支払いトトラでできた舟に乗せてもらって別の島まで行く。乗り心地はふつうかな。彼等の正業は魚や水鳥を捕ったりトトラの畑で野菜を作りブタも飼育しているが、やはり観光客目当てに手作りの土産を女性達は声をからして売っている。

 タキーレ島
 モーターボートの速度は非常に遅い。3時間ほどかけて、ここはれっきとした島、タキーレに渡る。ここにも電気も水道もなしの昔のままの生活をしているケチャ民族。この島の織物の素晴らしさは世界的に有名らしく、ボートの中でガイドがサンプルをみせてくれるが、上品な色使いと繊細さの技術は相当のものだなと感心した。この島に上陸してからはずいぶんと登りが続いた。畑や島の人々の住宅のすぐの道や階段を登りやっと頂上に。道端には小さな土産物を売る店があり、子供や女性達が民族服を着ていて、ひやかすのは楽しい。私たちは昼食をある家庭で、地元のフルコースをいただき、終われば家族一同が民謡らしき歌と踊りを披露してくれる。ごく粗末なものだけに彼等の心がこもっていて大いに満足です。
 頂上近くに、この島の織物を売っている島営の店があって、そこでは初めて定価が入っている商品でしたが、私が買える値段のものではなく、高価すぎました。頂上からの下りはこの島をひと回りしなければ船の出航口には行けないようになっている。船を別の場所に移動して、よく考えた観光コースになっている。ティティカカ湖が空との一線に消える、果てない遠望を見ながら、一方ではインカ時代からのアドベ造りの民家を通り過ぎて、私たちは島巡りを終えてプーノ市内へ帰る。
 宿の近くの中央市場で、プーノの市内の中心街をそれぞれの思いで散策する。アルマス広場にはコロニアルスタイルのカラドラルがあり、メイン通りのリマストリートにはあの特徴ある帽子をかぶった民族服の婦人達も行き来している。私たちはプーノに別れを告げ、明日はアレキパに行くことにする。  私ともう一人の相棒さんで、夕食が終わってからフォルクローレのライブを聴きに、近くのライブハウスへと足が向く。ドリンクだけでも聞くことは可能らしく、私たちはアメリカのツアーのお客さん一杯の後ろの席で聞かせてもらう。10人程の黒服の楽団はケーナ独奏者がラテン系の民族音楽を、そして独唱もしてくれる。あの物悲しくも力強い明るい歌は心にズシーンと染み渡る。5人程のダンスも次々と曲に合わせて衣装も変え舞ってくれる。小さいながらも懸命の演奏は素晴らしいものでした。終りごろ聞いた「コンドルは飛んでいく」のあの名曲は、ケーナだけのシンプルなものは感動的。ライブの余韻は、しっかりと続くこれからの宝物。


 アレキパ
peru_09_5アレキパへの途中(チャチャニ山=6075m)
peru_09_6アレキパのアルマス広場
 プーノ市内を早朝の散歩で、民族服の女性ばかりがすごい列して並んでいる。どこが先頭かなと見に行くと、銀行前で何か書類をみな持参している。言葉が分からず聞くわけにもいかず、目的は何だろう。地元民に政府が与える給付金(?)かなとか勝手に考えている。でもこんなに大勢の民族服はカラフルで壮観だな。
 アレキパに向け出発する。デラックスバスは途中で二つぐらいの町に寄って乗客を拾う。飲み物や土産物等を、売り子さんがバスの中に入って来て大声で売り歩く。一年中温暖な気候でフルーツが美味しく、ミスティ山・チャチャニ山にもお会いしたいと、まだ見ぬ町への途中ほど嬉しい期待が一杯。プーノに行く途中と同じく、ここも高原の山岳地帯を通っていく。手前の丘のような山には樹林帯はなく、草原・川・湖あり。多くのアルパカ・リャマ・羊・牛の放牧地帯。見渡せど人工物がひとつもなく、ゆったりしたスロープが続く。その壮大さにただ驚くばかり。日本の国土の3倍もあるとか、ペルーがこんなにも巨大とは想像していなかった。大自然の続きには、フラミンゴの湖あり、鳥の楽園もある。この高地の大草原の迫力はすごい。一番の高地は4528mもある。アレキパにだんだん近づくと、チャチャニ山(6075m)・ミスティ山(5825m)・ピチュピチュ山(5665m)の、真っ白の雪の山が大草原より望めるようになると、草原の様子も次々と変化する。岩の山ありサボテン山あり、いながらにして、この景色の素晴らしさはアレキパ近くまで続いた。今晩も便利さだけで選んだ宿はカタリナ通りの中心にあり、お隣はスーパー。屋上から星が美しい。明日も早起きして、日の出を拝みましょう。
 早朝より朝食を兼ねての散策に、中心広場の名前はアルマス広場。リマでもクスコ、プーノでもみな同じ名前、どうしてなんだろう。この町は標高2335mなので、プーノよりは1500mも低く、近くで採れる白い火山岩が主な建築材料なので、白い町と呼ばれている。アルマス広場の中には芝生や噴水、ヤシの木。南米の明るさに、ぐるりとその周りを白い市庁舎。白い二つの大きな塔のある堂々としたカテドラル。2階がアーチ型の回廊になったレストランで、下が旅行社や雑貨、スーパーといろんな店ばかりだが、今まで通過してきた町よりずっと明るい町です。私たちは2階のアーチ式のレストランで朝食をとって、明日の予定を話し合う。カニョン‐デル‐コルカ渓谷へコンドルを見に行くことをどうするかである。コンドルは朝にしか飛ばないらしく、コルカ渓谷へは少し遠いので1泊すべきの結論となる。プーノで教えてもらった旅行社に行くが、日本人に対して足元を見て相場を知らないと思っての対応(他の旅行社で相場を聞いているのに)。ムカッとして最初のところで予約をする。
 私たちは、この町のスペイン風の町並みが残っているサン‐ラロス地区や、近くの土産物屋さんで物色する。同じ宿のご夫婦が近くの美味しい店を教えてくれたので皆でそこへ行く。労働者の人々の食堂であったが味は確かによかった。お昼のフルコースが90円の安さにびっくりしました。
 偶然、カタリナ通りである家の奥さんと知り合う。彼女は日本人とボリビア人との間に生まれた二世。日本人そっくりな顔立ちで、名前もユリ子さん。私の物好き心が動き始め、コルカ渓谷のコンドルのツアーが終わった明後日にはお会いしましょうと約束して別れる。皆で今日昼からは自由時間とし、明日の1泊の荷物の準備や洗濯・昼寝でも自由気ままとなる。
 私は1人でカタリナ修道院に行く。400年間も外部との交渉を一切絶ち、何千人の女性達が自分自身と神との生活をする。高い壁に囲まれた修道院の内部は、外の喧噪が嘘のように静まりかえり、庭には花壇が沢山あり、回廊には美しい絵画、刺繍や音楽を楽しんだであろう部屋、その当時の家具や台所、寝室の様子等がそのまま残っている。修道院は広く、歩いて歩いて迷子になりそうでした。自分の心を反省する時も、戴いた気持になりました。夕食は宿のテラスで持ってきた日本食を食し、相棒さんの日本民謡を聞かせてもらったことが、何よりのご馳走でした。まだ続く旅の勇気ももらった感じです。ありがとうございました。


 コルカ渓谷
peru_09_8コルカ渓谷でのチバイのカテドラル(民族服が違っている)
 コルカ渓谷にはコンドルが乱舞する姿ありで、その渓谷はグランド‐キャニオンよりも深いとか。本当だろうか。興味ありで、1泊のツアーに入り、朝のピック‐アップの車を待つ。だいたいペルーの約束時間はアバウトなので、そのつもりで待つ。私たちは、アレキパに入ってきた道を逆戻りしてから別道を国立公園に向かう。ここにはペルーの宝物のビクーニアが保護政策によりフェンス越しに沢山放牧されている。リャマ・アルパカとラクダ科に属した動物達は羊と同じようにその毛が良質のセーターとなるが、その中でもビクーニアの毛並みが最高らしい。アルパカやリャマよりも小振りでベージュ色か白が多い。アルパカとリャマも凄い数だ。ときおり小さな粗末な小屋がある。この放牧された動物の監視の役人が住んでいるらしい。このドライブ一番のビューポイントの峠は4900m余りもあるので、チャチャニ・ミスティの大きな山々が近づき、はっきりと見られる。自分がそんな高所にいることの不思議さを感じ、私たちは高山病には誰もかからず、みな元気なことはありがたい。ガイドもドライバーもコカの葉をガムのように噛んでいる。高山病に効くらしいが、私たちには必要なし。
 突然私たちのバンの上をコンドルが1羽だけ飛んでいる姿があった。迷いコンドルかな。それとも孤高を愛する者かな、やはり聞きしに勝る大きさ。風に乗った優雅な舞い。私たちは温泉にも行かず、古い村のトレックがあると聞いていたが、チバイの宿で一休み。私と相棒さん二人でチバイのメルガド(マーケット)に行く。隣にカテドラルがあり大きな広場にはタカを腕に止まらせては写真を撮ったりそれを商売にしている。メルカドには何でも日常品を売っている。そんなにお客さんもおらず売れているようには見えないが、皆のんびりとしている。ウチワサボテンの花か実か分からないが、珍しい物好きは買ってみた。宿で食べたが美味しくなかった。チバイの民族服はスカートの丈が長くなり、上着も帽子も刺繍をいっぱい。ボレロを必ず着ている。今晩は音楽とダンスがあるそうだが、プーノで聞いたフォルクローレで充分と思い、断って早く寝ました。明日は早朝5時起き、6時出発らしい。

peru_09_9コンドル(コルカ渓谷)

 イヨイヨ、コルカ渓谷へと出発する。幾つものヘアーピンカーブが続き、そして観光バスも次々と。きっと世界中の人々がコンドルを一目と集まって来るのだろう。西へと谷を下っていく、深い盆地になっていて、ここで採れる野菜は美味しいらしい。ガイドが詳しく説明してくれているがよく分からない。展望台からは、渓谷が本当に深くゾーッとする。コルカ川を挟んで断崖と山脈は続く。確かにグランド‐キャニオンよりは深い絶壁であろうが規模は小さい。静寂が訪れ、観光客は暫し待つと、突然コンドルは音もなく頭の上を掠める。実にみごとに風を我がものとして、悠然の舞い。音もなく4〜5羽が次々と何処からともなく出没しては、この深い断崖の中に消える。2〜3分後、風に乗った舞いを披露するとまた何処かへ消える。同じ鳥ばかりが舞っているかどうか分からないが。時には10羽位か15羽位舞っている。「あんた達、ここに何しに来た」と問うているようだと私には思えた。茶色はまだ若く、黒くて首に白いスカーフの模様が入ったり、羽根にも白い切り目があるのは、成長したコンドル。ガイドの説明によると、コンドルは生きた動物を襲うことはなく、死んだ肉しか食べないとか。羽根を広げると3mほどあるとか。しっかりと見つめたコンドルは、コンドルからも鳥眼で私たちも見つめたことでしょう。本当に「コンドルは飛んで行く」の歌が聞こえて来るような出会いでした。


 アレキパの家族のこと
 一昨日、偶然日本人らしき老婦人と知り合った。ちょっとだけ日本語を話し、日本人に会えた懐かしさと喜びを身体全体で表して下さる二世であった。コルシカ渓谷のツアーが終った夕刻に、お宅を訪ねますと約束していた。単独で行動することに躊躇はあったが、相棒さんを誘っても「一日前に知り合って、今日会うことはとんでもないこと」らしい。私の心の中には多分という思いは何時も第一印象で、この人は自分と気持の合う人、否の人を決めてしまう悪癖がある。暇な時間があったのでイソイソと訪れる。彼女は5人分の夕食の用意をしてご主人と息子さんと待っていてくださる。すまない気持で一杯だったが、おだやかな家族は迎えてくださり、1時間ほどの楽しい語らい、沢山の巻き寿司を持たせていただいた。やさしくしてもらった分、また誰かに何処かでお返ししましょう。

 ナスカ
 私たちは、夜行バスで9時間かけてナスカに着く。茫々たる広大な大砂漠の中、ナスカにやって来た。ナスカの地上絵を見る以外には何も期待していない。少々疲れていたので二つ星ありのホテル、朝から入室させてくれてありがたい。貧しい旅には少し贅沢。中庭にはプールあり、ゆったりした雰囲気。バスはほとんど水平で眠り、揺れが心地よく何処でも熟睡するのが得意な私は元気そのものですが、相棒さんは眠りが浅かったらしいので昼過ぎ休憩とする。ナスカの地上絵のフライトの旅行社を数社比べてみる。ナスカとパルパの地上絵は二つあるが、ナスカの地上絵だけでとなり、ある旅行社で明日のフライトを予約する。そしてホテルでタクシーを頼み、このナスカの地上絵の保存に貢献したマリア‐ライヘ女史の博物館と砂漠の中のミラドール(観測塔)へ行く。ナスカ市内には本当に何もない。日曜には市があるというメルカドに行ってみるが、簡易な小屋が続く。暑い日差しのなか、魚や肉等は腐ってしまうのではと心配になる。もっとも清潔にしなければ売れないのではないかな。匂いと暑さのメルカドはもう結構ですと、夕食の美味しそうな店を物色してホテルでゆっくりする。私は屋上にいる犬が可愛くて、何度も会いに通いました。我が家の犬猫達はどうしているかな。

 ナスカの地上絵
peru_09_10ナスカの地上絵(クモ)
peru_09_11ナスカの地上絵(ハチ鳥)
 ペルー時間には呆れる。8時30分の飛行と聞き予約したのに、実際のフライトは10時30分。旅行社は自分の会社は他よりフライトを毎時間持っているので、貴方の望む時間に飛びますヨとか。2時間も待たされ、嘘つかれた。信じた方がアホなのかな。これがペルー時間と諦める。最初から期待はしていなかった。5人乗りの小型セスナのプライベートなので私たちだけ。朝のうちが一番よく見えるらしい。操縦士がガイドもしてくれる。日本語も少し。右はコンドル、左はサルというように説明付きで、12個ほどの絵を見せてくれる。35分間を空から砂漠地帯と農耕地帯の様子も近くに寄ってくれよく見られたのは幸いでした。何となくテレビで観るのよりは迫力があった。フライトは終わりのほうで少し気分が悪かったので、しっかり見ていなかった。
 ナスカのホテルはとても気持の良いものだった。私たちはバスで7時間ほどかけてリマに再び帰って来た。宿は中心街の6人部屋のドミトリー。旧市街を歩くのにはとても便利で、宿の近くが噴水のあるマヨール広場で、大統領府もあるため衛兵の交代式もあり、カテドラルやサント‐ドミンゴ教会もある。フランシスコ教会の地下の墓地カタコンベはぞっとするような人骨の山。サン‐マルティン広場でこの旅の終りを祝し、セルベッサは一段と美味しいらしい。
 今回のペルーの旅は、計画した通りに都合よく事は運んだのでありがたいことだったが、成田に着くと厚生労働省の検査官が数人機内に乗り込んで来て、私たちが自己申告した健康に関する項目を調べにかかった。検査官は何の挨拶もなく、何をするのかの説明もなく、発音の悪い片言の英語で外国の人に質問したり、私たちを機内に1時間以上も留め置き、何の言葉もなく去って行く。トランジットで時間の少ない客には非常に辛いことだったろう。最後だけでもお手数をかけたことを侘びる言葉は、はっきり言って欲しい。外国のお客様に恥ずかしいことだ。役人なら、もっと態度を毅然として欲しいと思った。
 新型インフルエンザのことは成田空港で初めて知った。こんなことは初めてだったが、厚生労働省の役人さんなら、乗客に不快な気持にさせないように、しっかりとマイクを使い説明と挨拶を望んでいます。
 遠いと躊躇していたペルーに難なく快適に旅ができたことは、相棒さん達が皆元気であったこと、しっかりと支えてくださったことがその源です。どうもありがとうございました。
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ナダの旅  〔2006.9.8〜9.19〕
 カナダの西部は3年前に終わっていたので、東へはいつかと思っていた。幸い『山の会』の相棒さん二人と、三人で行くことになる。この広いカナダ。日本の27倍もある地を一度の旅では到底無理だと、今回も広大な国のある一部にすぎない。「紅葉には早いかな?」と期待を少し持ってカナダのケベック州へと飛ぶ。
 ケベック・シティ
canada_1ネイティブ‐インディアン
 アメリカの航空会社だったので、途中トランジットでデトロイトに入出国をし、ケベック‐シティの空港に夜到着し、旧市街のユースに直行した。宿は便利な場所にあり、朝食はセルフサービス。いろんな国の人と会う。朝食を終えて散歩をしながらの観光の始まり。街全体が城塞都市として、世界遺産に登録されているだけの気品と風格がある。近くのノートルダム大聖堂のステンドグラスが、優雅さと金色での室内の色彩の豪華さに目をみはる。今日は小雨が降って観光には悪い条件。セントローレンス川から吹き上げて来る風の強さはすごい。街は三層に分かれていて、ロウワ−タウンの巨大壁画は見栄えがあり、ロワイヤル広場から石畳の道を登ったり下ったり階段が多いので少しずつ疲れてくる。
 新旧の建物が、違和感なくほどよく調和した建築物は歴史的な事実も語り伝えている。ケベックの人々をケベコワと言い、フランス文化をしっかりと守り、彼らの合言葉「人生を楽しく」という信念を持ち生活をしているらしい。市庁舎の造りも威厳がある。一番の見どころは、フェアモント‐ル‐シャトーはこの街のどこからでも見えて、巨大な城のようなホテル。屋根部分のシルバーグリーンがとってもハイカラな色。興味本位で、この屋上階まで上がってこの街を眺める。首折れ階段を下ったり総督の散歩道をゆけば、高台の要塞シデタルへと続く。ずらーりと砲台が並んでいる。戦争の歴史を経てこその、この誇り高き街の出現となったケベコワ人達の心意気があるのだろう。
 次に、私たちは落差83mのモンモランシーの滝をめざす。案内所で訊いても、ツアーに入ることだけを教えてくれる、自分達で市バスで行きたいのに無理なのかなと心配したが、間違ったり人に訊いたりする。少しの苦労もなく目的地に着いたのでは面白くもない。恥も外聞もなく訊けばよいのだ。私たちは外人なんだから。モンモランシーの滝も、バスのドライバーさんの助けによって、やっとその滝の上部に着き、知らない人から自然生えのリンゴをいただき、滝の上の吊橋より怖々覗く経験をする。橋の両サイドに下へ降りる木製の階段。下から眺める。さすがの落差とその轟音にはすざましいものがあった。

canada4モンモラシーの滝

 オルレアン島
canada2オルレアン島のリンゴ畑
 何かの本で、数年前にこの島が載っていて、行きたいナと思っていた。滝近くのレストランで、地図上では一番近い道なので、そこの行き方を訊くが、バスはなくタクシーを呼んでもらう。セントローレンス川に架かる細く長い唯一のオルレアン橋を渡る。この島は橋が1本しかなかったので、カナダ本土の近代的な発展に後れてしまった、それが今でも開拓当時の面影を色濃く残し、その伝統の家屋が観光の一因となる皮肉な結果となっているらしい。メールで連絡をとっていた民宿(B.B.)の女主人と娘さんの出迎えを受ける。日本の派手な看板と違い、ヨーロッパでは旅行者にとっていつも困ることの一つに、何のお店か分からない場合が多い。建物の中をソーと覗くと、やっと区別がつく。この島も同様で、家屋の番号だけが頼りである。それだけ周囲の風景に配慮しているのかな。この島の魅力は、豊かな農地に果樹園やワイナリー・クラフト工房が沢山あって、田園風景に溶け込んでいる。イギリス風スタイルの家屋が、夫々の個性あるスタイルとガーデニングで道の両側にあり、今はブドウ・リンゴ・ナシ・プルーン等の果物の収穫時。沿道には小さなテント張りやログハウスのショップが点在し、自分の農園のものを売っている。
 このB.B.の家の中には、オーナーの好みの物を沢山飾っている。部屋に沢山の物を飾ると、ほこりが付いたりする。アクセントに一つ飾ればよいと思うのだが。ここの女主人は、アクセサリーを首から手から指にあるゾと想像した通りの方、化粧が濃く身体にも沢山の飾りを付けている。部屋の好みと自分への飾り方はよく似ている、好みだから仕方ないかな。三人で散歩しながら縦横に道を歩いて、牧歌的なこの島を楽しむ。春には砂糖楓からメープルシロップを搾取する様子が見られるそうだ。ガーデニングで不思議なのは、アジサイのグリーン色の花がこのカナダに来てよく眼にする。オルレアン島にも沢山咲いている。この島は濃霧が多く、船からでも我家がよく見えるようにカラフルな屋根が多いそうだ。冬は寒く冬眠の経営状態らしい、春から秋が稼ぎ時らしい。放牧の牛や馬達の飼料となる草を、大きなタルのような束にして、あちこちに転がっている。泊まったB.B.の裏庭が広くニワトリも飼っている。リンゴ・ナシが自然生えの状態だから、枝から落ちそうなくらい重そうにたわわに実っている。多分家庭用のジュース・ジャム・パイに使うのでしょう。この宿の犬はリンゴが好きで、落ちたリンゴは決して食べず、垂れ下がった枝から食いちぎって食べる利口な犬でした。朝食も豪華で手作りのものが多い。こうして家庭的に接してくれる宿に泊まって、この先すごしたい希望でもあるがどうなるかな。おとぎの国のような島に何日も滞在したい気持ちもあるが、限られた日々の旅。心残りのオルレアン島でした。宿の主人がケベック‐シティのバスデーポ(バスターミナル)まで車で送っていただいた。


 モントリオール
 ケベック‐ティから3時間ほどで着く。モントリオールに着いてから、ホテル探しに苦労した。バスデーポの近くにB.B.は沢山あるが、三人の気に入ったものを探すとなかなかない。結局は、ダウンタウンの中にまぁまぁのものを見つける。この街は第二のパリといわれるフランス語圏で、夏には世界的なジャズの祭典が催され、ケベコワの人々の陽気さが多彩なイベントになり、連日連夜がジャズの大洪水となるらしい。
 初秋の今はすごしやすい気候。大きな地下街があると聞く、冬の厳しい季節には快適に移動とショッピングができる。
 私たちは夕暮れの官庁街を歩く。重厚なバロック調の市庁舎は中心街にデーンと位置して、ネルソン像の建つ大きなジャック‐カルティエ広場には、世界中からやって来た旅人達が多くのパフォーマンスに見とれている。夫々に、凝った建物の裁判所・博物館。フランスにもイギリスにも影響を受けて、歴史的な複雑さの匂う街を散歩する。
 「ボンスクール‐マーケット」とあり、マーケットには庶民の食材ありと足を運んでも、他の目的のものになっている。泊まった宿の近くにはレストランやパブが多く、犬を連れた若者のホームレスやアル中の人々が道端に寝込んでいる姿も多く見かける。若い人がどうしてこんなになるのかな、何とか働けば食べていけるのでは。旅先でこういう人達に会うのは辛いことです。モントリオールの中心を少し離れると、三階建てで外に階段が付いていて、夫々が別の家族の住んでいる家屋が続く。外の階段は家を広く使うことと、だいたい濃い茶色系建築時の流行色でしょうか。
canada5モントリオールの市庁舎


 メープル街道のロンシャン地方へ
canada3トレンブラン村のメンシェル湖
 モントリオールは大都会。1日か2日で観光しようなんて無理な話。旧市街の主な建物をちらりと眺めたくらいだが、この北部をめざしロンシャンの紅葉を訪れることが目的としていた。
 一番の奥地のモン‐トレンブレンに向かう。ロンシャンは驚くほど広い。向かう車中から、次から次へとゴルフ場が現れる。冬はスキーのメッカらしく、適当な勾配の丘はリフトだらけ。湖も沢山あって、釣りやボート、そして一大レジャー施設の町々が連なっている。モン‐トレンブレンに着くが、いかにも造りたての施設という感じ。私たちが過ごしたいのはもう少し奥の村。生活の場と一緒になったB.B.に村営バスで行く。丁度メルシェル湖の真ん前に、頃合いの台所付きの快適な宿を得る。まるで上高地のよう、色とりどりの紅葉のなか、落葉を踏みしめながらの大森林地帯はリゾートエリア。湖の辺り別荘がゆったりと建てられ、各家の船着場に小さなボートを持ち、週末や休暇にはここでのんびりと休養してビジネスに再び戻っていく生活。サイクリングの人々は、必ずヘルメットをかぶる規則があるのでしょう。こんな暮らしもあったのかと、信じられないくらい日本のことは遠くにある。私たちはスーパーで買い物をして簡単な食事を作ったり、朝もやのなか湖面を揺らしながら昇っていく水蒸気。湖の周囲の草花を、見知らぬ鳥達を訪ねるのんびりとしたトランブレン村でした。
 ここのオーナーは、カナダ先住民のインディアンを父に、フランス人を母とする混血の人。骨格が大きく、ポニーテールの髪がよく似合っているので訊いて見たらそうでした。話しながらウィンクをする癖がある人で、よく気のつく魅力的な方でした。


 モン‐トランプランの登山
 冬は巨大なスキーエリアの地でしょうが、湖を背景とした低い山々の紅葉を山の上から見たいと意見が一致する。普通の観光客は、だいたいゴンドラで頂上まで登ってその眺めを楽しむらしい。ゴンドラのチケット代を惜しむ訳ではないが、これぐらい訳なく登れると思った。登り始めは木の階段、森林のあいだ滝を見ながら日陰を登り、鹿さんにもお目にかかった。気分よい登山だったが、途中からガレ場がありロープウェイの下の危険地帯だったけど、花々が咲いている暑い陽射しのなかあえぎながらやっと頂上へ。見物人は日本人の馬鹿さに少し皮肉まじりの拍手に迎えられる。
 紅葉した山々が連なり、トランプラン湖・ミロワ・ウイメ・ムーア湖のこの広い大森林地帯を一望する眺めは、自分の足で登ったがゆえ有難い一時でした。さすが、カナダの大自然と共存する人間の知恵が造り得た一大リゾート地である。疲れた足でモントリオールにバックする。オタワ行きは、モン‐トランプランから直通はない。モントリオールにバックする以外、オタワに行けないそうだ。


 オタワ
 この国の首都、政治の中心である。ケベック州の西の外れ。もうすぐケベック州とはお別れの地。途中で雨が降って来た、嫌だなあ。バスデーポに着いても雨は止まず。ケベック‐ティの強風で骨が折れた傘をさしてB.B.を探したが、結局はユースホステルに決める。このユースは元刑務所だったところ。女子・男子別の階で私は3階6人部屋の二段ベッドの下。部屋にも階にも二重の重い鉄格子の扉に鍵があり、さすがに厳重。囚人の気分でも味わえるかと思って泊まる。まずは、パーラメントヒルの国会議事堂がオタワのシンボル。大時計を中心に国の重要な政治機関が集まり、グリーンの芝生の広場の周りにある。カナダの独立戦争の犠牲者を偲ぶ記念碑が観光のヘソになる。雨なのでリドーの運河のクルーズはお休み。街の中心から全長200kmのリドー運河は、軍事物資を輸送手段として建設した、冬にはアイススケートリンクになるらしい。国立美術館はモダンな建物で巨大であり、ノートルダム聖堂は古いが小ぢんまりして荘厳な雰囲気を持っていた。港の近くにマーケットがあるが今日の雨で人では少ない。魚の市場は、種類の少ないのが気になる。旅にある間の雨ほど、最悪なものはない。心を重くして監獄の宿へと帰り夕食をとる。部屋では夜遅くまで若い女の子が騒々しいし、上の人が動く度にベッドがギシギシと音をたて浅い眠りの夜でした。canada6オタワのハガキ
canada8オタワの時計塔

 ナイヤガラ‐フォール
 オタワの街の、昨日見ていない側を散歩しながらバスでーポまで歩く。
 今日はキングストーンに向かう。いよいよオンタリオ州に入る。五大湖のひとつ、オンタリオ湖のほとりに発展したこの都市も水運で栄えた水の都。キングストーンと呼ばれているのは石灰岩のことらしい。カナダの国土の大きさは来てみてびっくり。次の街に行くにも長距離で、その間は牧場や麦の畑。途中の景色が楽しみなヨーロッパと違い、同じようなのっぺらぼうの変化のない風景の続きで面白くなく眠たくなるだけ。
 今晩泊まるB.B.は、セントローレンス川に浮かぶ沿岸警備船が転用されて宿となったもの。4人部屋の船室を3人で使う。ホットシャワーとトイレは別室。許せる程度の清潔さはあるが、これも好奇心がさせるのかな。一つの経験かな。ザックを置き市内の観光に出かける。B.B.の隣に海洋博物館。かつて産業を支えた、スチームエンジンの巨大さを展示している。市庁舎は白い大きな建物で目をひく。セントジョージ教会も、白きライムストーンのイギリス的な建築物、セントローレンス川の多島域をクルーズするサウザンド‐アイランドは風光明媚なところらしいが、私たちにその時間がない。
 私たちは、B.B.の朝食以外まともな食事をしていないので、今晩は日本食が恋しくなり、韓国の人がやっている日本料理店に入ってみた。即席のだしで作ったものは食べてみてすぐ分かる。深みもまろやかさもない料理だった。カナダの人々にこれが日本料理と思われているとは心外だな。自分の国を離れて、ますます日本が好きになる傾向は誰にでもあることでしょう。
 今回泊まった宿で、この船の宿が一番朝食の準備をきちんと整えて待っていてくれた。今日は長距離の移動となる。トロントでバスを乗り換えて一気にナイヤガラの滝見物に行こうということになる。
 デラックスバスはエアークッションが利いて乗り心地がよい。二人のところを、皆一人づつ座ってゆったりとしている。ナイヤガラ‐フォールに近づくとワイナリーが多い。これだけ多いのでは、カナダの家庭の食卓では必ずいただくのでしょうか、それとも輸出が盛んなのだろうか。
 バスデーポからリバーサイドにはB.B.が次々とある。しっかり者の清潔そうな宿に決定し、歩いて30分くらいかけてまずナイヤガラ‐フォールに。レインボー橋はアメリカとカナダを結ぶ国境。両国の旗が相互にあがっている。これまでの街をずっとセントローレンス川が続いて流れてきている、どこまで続くこの巨大な川というより海は、ここに発しているのだな。滝からの落差で生まれる、汚いアワの流れが川の中に太線となって流れている。ナイヤガラの滝は一つと思っていたのに、ゴート島を挟んで二つに分かれている。アメリカ滝の下には多量の岩が散在して、落差はカナダ滝より高い。カナダ滝の方が倍ほどの長さがあり、テーブルロックから両方の滝を眺めれば、白い煙のしぶきとなり対岸まで小雨のように降ってくる。滝の上部が、鮮やかな透明なグリーンなのは不思議です。この世界的に有名な観光地を訪れる多民族が通り過ぎていく。訳のわからない言葉を話しながら滝を背景に写真をとっている。そんなに期待したほどの感嘆はない。ここは一大観光地となり、カナダとアメリカの地が接する集団の最大リゾート地である、多くのタワーやホテル・カジノ・レストラン・土産物店が、軒を連ねている。滝の下までの船での見物、ヘリコプター、そして洞窟ツアー等数々のアトラクションがあり、ツアー客の集まりがある。やはり、苦労してやっと辿り着いて眺める、自然の広がりに感嘆する山好き者の旅とは一味異なる思いがあった。次の日の朝はいつものようにB.B.の近くを散歩する。カナダに来てからリスの姿を多く見る。ここにはとりわけ多く居る。黒リスが多い、茶もグレイも時折見る。天敵がいなかったためか、それとも食料のナッツ類の森林が多いからか、尾がリスの身体より大きく、その動きが尾は立てたままスムーズに走る。ナッツを手で持ったり、ほっぺをふくらませたり、仕種のあいらしさ。可愛い小さなリス達だった。
 B.B.の朝食は、食べやすい大きさの熱々のホットケーキを次々と作っていただき、カナダ名物の例のメープルシロップで食するのは絶品でした。

canada7ナイヤガラの滝全景

 トロント
 トロントに行く途中、今日は土曜日だからかガレージセールの宣伝の看板が電柱によくある。さぁ、大都会のトロントはどんな街なんだろう。この週末は映画のイベントがあるそうで、予約なしの旅人には宿に困る。もうこの短い旅も終わりだから、貧しい旅には少し不釣合いのホテルになったが、便利なところがいいかな。観光へと出かけるが、すごい人出の多さにびっくりする。天を突くように高いビルウォール街の近くにホテルはある。二つのデパートをそして地下街へ。人出を見に行くようなもので好みではないが。2日間を、市庁舎・州議事堂・美術館・トロント大学等、市内の主な建築物を見物して帰国する。
 あらためて、カナダの巨大さを思い知らされた感じのする今回の旅。日本の国土の27倍とは想像もつかない広さである。3年前より、カナダドルが強くなったのか日本円が弱くなったが、物価が高くなっていた。自分には、やはり小さな国で田舎巡りをして適当な高さの山に登り、小さな宿に泊まり、その地の人々の暮らしを見物するのが性に合っていると強く思った。
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