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初(はっ)ちゃんの世界紀行――吉田初枝
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 キプロス島への旅  〔2018.02.05〜2018.02.15〕
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 地中海のマルタ島を旅した折に、キプロスにトランジットした。マルタ島がとても良い所でしたので、このキプロス島も、何時か訪れたいと思っていました。大寒の季節の日本から抜け出して、暖かい所に行きたいと思うのは、何時もの事です。四国よりも小振りのこの島は、温暖な気候と、豊かな大地、海の幸にも恵まれて、その為に幾多の他国の侵略に逢う。紀元前の1万年前から、ギリシャ・ミケーネ文明時代から、人々は住み始めた。遺跡と山岳地帯の村、教会と城、その地の人々の暮らしぶりを、垣間見たい。
 関空より深夜3人はエミレーツ航空で出発し、ドバイでトランジット、次の日の昼にはキプロス共和国のラルナカに到着する。客引きタクシーもなく、のんびりムードが感じられる。市内行のバスも中々来ないが、観光客はツアー会社利用の人が多くて、リムジンバスには観光客はいない。空港近くの大きな湖、ソルト・レイクを横断する。塩の湖という名前だけあり、フラミンゴの大群が、冬には塩を求めてやってくるらしいが、今日は数羽しか浮かんでいない。
 予約した宿はレンタル・ルーム、台所付きの2部屋、近くのレストランでの朝食が宿代に含んでいる。とても便利な場所にあるのが、魅力の一つである。ラルナカ一番の見どころは、聖ザクロ教会、宿から歩けば直ぐの所、日曜日の今日は多くの信者さん達が、ミサに参加している。聖人ザクロがキプロスで布教を行い、この教会の地下に、ローマ時代の埋葬の形で葬られていた。教会の内部の、壁という壁にはイコン(宗教画、聖人を描いている)が収められている。金や銀、色彩豊かに描かれている、どの教会にもこれ程見事な豪華さのイコンを見たことは無い。
 ラルナカは地中海に面している。この町は海岸沿いに発展した町。今の季節には泳いでいる人は居ないけど、暑く為れば、海のレジャーや観光客で、凄い人出を予想します。海岸には散歩道が続き、レストラン、ホテル、土産物屋さん等が連なっています。ヴェネチヤ時代の要塞がどっしりと建てられています。オスマントルコにより再建された。異国の侵略が幾度なく繰り返され、イギリス統治時代には、この要塞は刑務所となっていたこともある。今は博物館になっている。
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左=ラルナカ 聖ラザロ教会    右=ラルナカ カマラス水道橋

       ラルナカ2日目
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 この宿には朝食付きとなっているので、喜ぶべきなのですが、離れた所のレストランなので、始まりが9時半。どこかに行こうとしても、少し遅すぎる。朝食付もあまり嬉しくない。朝のうちに案内所で聞いて、キテイオンという、ギリシャから渡って来たミケーネ人が、築いた町を見に行くが、近くまで行って、地元の人に聞いても知らない人ばかり。やっと見つけても荒れ地を柵で囲い、石を積み上げた、外壁が少しだけ残るばかり。その近くには独特な形の長屋の家並みが有る。その祖先の末裔が、住んでいるではないかなと思う。
 バスに乗りカマラスの水道橋を見物に行く。巨大な水道橋が突然現れる、過って水は何処から引かれて何処へ行ったのだろう。何の説明もないが、大昔の水の流れを感じる。帰りのバスが幾ら待っても来ないので、歩き始めるが、地図が読めない。地元の人に聞くのだが、夫々が違ったことを教えてくれるので、困惑してしまう。困って居ると母親と息子が、私達の宿の近くまで、車で送ってくれる親切を受ける。
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        ラルナカ→レフコシヤ(ニコシヤ)
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左=グリーンラインからトルコ アラスターの街並み   右=アラスターの町のトルコ料理店

 この国で困った事は、以前の他国統治時代の町の呼び名と、キプロス共和国として、独立してからの呼び名が異なっている事です。初めて訪れるこの国で、町の名は慣れない為もあり、中々覚えられない。随分不便な事でした。キプロスの首都レフコシヤには、バスで1時間程。途中は低い丘が、森林が茂っているのではなく、まばらに樹々が有り、地肌が見えている。冬でも豊かな農作物、緑の麦が生き生きしている。
 バスの終点から予約したレンタル・ルームを捜す、番地の表示も看板もなく、如何しょうもない。親切な人が電話をかけて助けて呉れる。3人が各自の部屋をいただき、スマートな台所有で、心地よく過ごせそう。ゆっくり休憩をしてから、散策を開始する。イタリア統治のヴェネチヤ時代に、オスマントルコからこの町を守るために、築かれた城壁に囲まれた町。起源は新石器時代からの歴史的に古い町、旧市街ライキ・ギトニアを中心に観光客は歩きます。石畳が敷き詰めてあり、通行する人は軽やかな靴音を響かせている。此処も観光客目当ての店ばかり、路地には古き昔の建物が、今にも朽ちかけようとしているが、住んで生活している人々は、気楽に暮らしている様子です。
 キプロス島は二つの国が存在する。朝鮮半島のように国が二分されている。この島の南部はギリシャ系住民の多い地域はキプロス共和国。北部はトルコ系でトルコ共和国の一部なので、夫々の境界線がグリーンラインとなっている。時折は小競り合いが有り、閉鎖されるらしいが、今は穏やかなそうで、パスポートさえ持参すれば、入出国は可能らしい。好奇心からこのグリーンラインを越えて、トルコに行ってみたい。リドラス通リを、北に向かえば貧し気なプレハブ小屋が2つ、強面の係員がスタンプを押してくれて、トルコのアラスターの町に入る。此処は衣類、レストラン等が多いバザールの町。近くには三日月をてっぺんに着けたモスクがある。多分キプロスより物価は安いのでしょう。買い物客や観光客がレストランで、トルコ料理のケバブを注文しています。トルコ・コーヒーを頂いて宿へと帰る。夕食は各自持参したもの、レンジで温めて頂きました。台所が有ることは、レストランで夜、食事することが、嫌いな人にはもってこいの宿です。
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       レフコシヤ→トロードス地方のカコペリア
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左=トロードス地方のカコペトリア村   右=キッコー修道院

 国境が近い事も有り、アザーン(祈りの呼びかけ)の声は早朝より、大きく聞こえます。時には美しいテノールの声に、聞き入ることも有る。午前中にもう1度、城壁の中の旧市街を歩きました。水曜だけ開かれている、地元の市が有るそうで、其処に行こうとなる。広い駐車場の青空市は、農家の人達や野菜果物や、各家の不用品、手作りの物、趣向品、パン屋さん等、賑わっています。美味しそうな八朔みたいなミカンを3つ下さい、果物売りの叔父さんはどこから来た、チャイナか?ノー、ジャパンと何時も言われる、日本の車は世界一だ。ミカンを3つくださった。私はキャラメル1箱をさしあげた。
 昼から行くトロードス地方のバス停を確かめる。ファマグスタ門は城壁の出入り口だった、水道橋とつながっている巨大な門扉が有る。ビザンチィン美術館は8〜18世紀のイコン画が、最大の量のコレクションで、モザイク画も沢山でした。2Fにはヨーロッパの絵画が、展示されていました。  トロードス地方行のバス停は分かり難く、教えられたところが違っていた。やっと何とか乗り込んで、西の山岳地方に向かって進む。小さな村が点々とある、キプロスの家は派手なカラフルの色彩では無く、白い家が多い。両サイド今旬のミカンが、沢山実っていて美味しそう。ギリシャ杉も多いが、一番多いのは、矢張りオリーヴです。ヨーロッパでは、食事の終りには、オリーヴの塩漬けを食べている。日本のお漬物か梅干しの感じです。山岳地帯に入ると、真っ白い花とピンクの樹木が、山一面に咲いている。桜にしては花が少し大きいな。聞いてみるとアーモンドの花らしい。こんなに美しい花の季節に来られて嬉しいです。バスの中では、ボリュームを上げたラジオが煩い。昨日も今日もドライバーさんは、知り合いの女性達と、大声でズーと喋っています。常識程度のマナーは有るべきだと思います。此処はキプロスです、他国民の私が言う事ではないかも。
 宿をやっと探し当て、坂道の上の方にある古い宿で、テラスからの風景は、此の町をグルリと見渡される。この山の中の小さな村は、キプロス島は歴史的に、多くの他国からの侵略を受け、海よりも山岳地方に、安全を求めて、山の中に隠れ住んだ村として発展した。今も中世の雰囲気が残っているらしい。少し歩いて村を見れば、人々の夏の避暑地には、適しているようです。
 世界遺産に登録されている教会が有るが、その中でも一番の人気、キッコー修道院に行こう。バスの便は無いそうなので、少々天気が悪くなりそう、タクシーを借り切って行く。山間部のグネグネした細い道、山を幾つも越える。途中キツネに逢う。鹿も出くわすことが有るらしい。20日前に何十年振りかの雪が降ったとか、オリンポス山脈には、残雪が見られる。宿からは1時間30分、山中の奥にやっと辿り着く。堂々としていて、見事な造りの修道院です。何度か火災にあったそうで、そんなに古くは無い。天井から壁までをモザイク画で描き、謂れのある、涙を流す聖母像のイコン画がある。山奥にひっそりと有るので、とても荘厳な雰囲気のある修道院でした。黒ずくめの長い裾を引いた、僧衣を着た若き僧は、この世とは隔絶した信仰の世界に、その一生を神に捧げているのは、どんな考えがあるのかを、聞いてみたい気がする。僧院の近くにもお土産屋さんが有り、猫が何匹か、餌を貰っている。水を入れた容器が近くにある。キプロスに来て、どの町にも可愛い猫が居る。去勢をしなければ、不幸な猫が増えると心配になる。矢張り山奥の宿は、夜とても冷えました。
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       トロードス地方→レフコシヤ→パフォス
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 今日はパフォスまでの行動日になりそう。宿のレセプションで聞くところによると、ニコラスまでタクシーでパフォスまでのバスを、でもバスは1日に数本らしい。でも隣に居た人がレフコシヤまでバックする方が、バスの本数が多いとか。多分1−2時間を無駄にしたかも知れないが、バスの本数の多い方を選んだ。そして5時間程をかけて、やっとパフォスに着く。パフォスは大きな町です。カト・パフォスとパノ・パフォス別れています。インフォメイションを捜すのですが、見つからない。近くの人が紹介してくれて、リーズナブルな宿が見つかる、其処に落ち着く。宿からの海岸線の明かりは綺麗でした。
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       パノ・パフォス→カノ・パフォス
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左=パフォスのモザイク   右=パフォス 王家の墓の一部

 島の西部にあるパフォスは気候がよく、豊かな大地にあるので、過ってはキプロスの首都でもあった。多くの貴重な歴史的な文化財が残っています。私達はカノ・パフォスの海岸沿いの宿に移る。パフォス一番の観光地は、海岸沿いに広がり、多くの観光客であふれている。夏の観光シーズンにはさぞかしでしょう。何軒かを巡りやっと、台所付きの清潔なレンタル・ルームを得て有難い。旅行社で明日のファマガスタの観光を予約しました。相棒さんの2人は、疲れて何処にも行きたくないそうで、其れではゆっくりとしてください。
 マリーンバスステイションからバス、バスで王族の墓へと、一人で行く。海辺にある広大な敷地の墓は、まだ発掘の途中らしい。100以上あるとか、地下になっている大きな墓もあり、支柱が大きく、まるで地下の神殿です。当時の支配者は強大な勢力を、持っていた事をうかがい知る。イギリスのウエールスからの男性と墓巡りをする。ロマンチックではないけど、彼は半袖半パンツなので、海からの強風が吹き、寒い寒いと連発していました。
 パフォスのメイン、モザイク画を見に行く。港の近くなので、歩いて直ぐの所に有る。地中に埋まっていたモザイク画は、耕作中の農夫により発見された。この広い囲みの中で、多くのモザイク画が未だ発掘中です。夫々が物語になっていて、とても美しく人物画が描かれている。地中海の代表する位のモザイク画でした。未だ沢山のモザイク画が、地中に在るがために、時間が掛かるのでしょう。遺跡にはモザイク画の風化を防ぐ為に、屋根がつけられている。巨大な遺跡は、古代キプロスの都であったことを示している。人が生きるための条件が整ったところに、文明は発展し都市は築かれ、そして敵の侵略に遇い滅び、また繰り返される人類の歩みを、じっくりと見物しました。帰路に港の端っこに、パフォス城が存在する、港を守る砦の意味も有る。良く歩きました。
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       トルコのファマガスタ行のツアー
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左=ファマグスターの港町   右=ファマグスター キリストの教会 内部はモスク

 気持ちの良いレンタル・ルームは清潔で安く静か、言う事は無い。朝、夕も台所で簡単な物をつくれる。大型バスが宿の近くに迎えに来てくれる。30人程の乗客は、各ホテルからピックアップしてくれる。国境を越えるので、必ずパスポート持参の注意がある。高速道路を2時間程軽やかに走る。トルコ側もツアーのお客に対しての心得は有り、パスポートをバスの中で預かり、出入国のスタンプを押して返してくれる。最初にサラミスに行く。野原の中に突然巨大な崩れかけた建物、ギリシャ様式の劇場、トレーニング場、お風呂がセットされて残っている。内部には女性の像が飾られているが、全て顔が無い。オスマントルコの軍の仕業かな。次はバラナス修道院、古い宗教画のイコン画が、沢山残っている、その当時の生活用品が展示されていた。さして珍しくのないが、ギリシャのロードス島での展示されたものと、そっくりでした。港町のファマグスタにバスは止まり、2時間ほどの自由時間、各自お昼を取ったり、土産物を見て歩いたり、港の大きな堤防の上から、此の町と海を眺めて気持ちが伸び伸びします。町は観光客の町のようです。ゴシック建築の大きな教会が、中に入ればイスラム教のモスクになり、メッカの方角に祈りを捧げている人々がいます。海に近いので、美味しい海産物を頂けるかなと、期待していましたが、魚はフライにしたのが多く、脂ぎって好みではありません。定時間に帰路に就くが、最後にガイドさんの説明に寄ると、このトルコ側とキプロス側との境界線を定める時に、トルコ側にも多くのギリシャ系の住民が住み、経済的にも観光面も発展していたのに、立ち退きを迫られて、今はゴーストタウンになっている。その住宅やビル等を見せてくれる。国の都合により、強制的な移住をさせられる住民の悲しみは、現在の世界にも続く、難民の哀れさと同じです。生まれ育った国を捨てて、難民になるとは、政治家の愚かさを繰り返しています。個人では行くことが、困難な地を訪れる事ができて有難かったです。
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       パフォス→ポリス→パフォス
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左=聖キリヤキ教会   右=パフォス 野外劇場

 パフォスより海のリゾート地ポリスに。バスの1日券は、5ユーロで何度でもバスに乗れる。パフォスまでもOKらしい。
 バスターミナルからポリス行は中々来ない。時間が有るので、近くを散歩すると、魚の干物を売っています。カマスの干物を買ってみた、夕飯時に試してみよう。急に少し寒くなってきた。観光客は半袖の上に、羽織るものを持っている。1日が暖かさと寒さの繰り返しです。
 ポリスに着する、今日は日曜日だから、どの店も閉めている。聖ニコラス教会は、守り人もなく朽ちかけている。オフシーズンの町は、静まり返っている。今、旬のミカンが通りには、どの家にも沢山。まるでミカン色の木のように、たわわに実っています。歩道に突き出た1つを、頂いてみると、酸っぱくて食べられない。其れだからこんなに実っても、誰も見向きもしない。樹々の下に落下して、そのままに肥料になっている。勿体ないな、甘いミカンに品種改良して、売れるようにすればと思うのは、野暮な事かしら。海岸の方に歩いて行ったけど、どこまで行っても何もないみたい。ポリスは何だか損をしに来たみたい。近くでオープンしていたレストランで、各自の好物を注文して、お昼を済ませただけでした。
 泊まっている宿の近くに、聖パウロの柱が有るそうで、聖キリヤキ教会の中に、使徒パウロが鞭で打たれたと、書かれた碑文が柱にあるらしい、教会の中に入って見ても、よくわからなかった。7世紀にアラブ人からの襲撃で崩されて、教会の建物だけが残っている。屋外遊技場もあるが、何の説明もない。発掘の途中なのでしょう。
キプロス島には、未だ沢山の史跡が有るが、政府も其処まで予算が無いのでしょう。
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       パフォス→レメソス(レマソール)
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左=レメソス 地中海に面した港町  中央=レメソス城   右=レメソスの海岸沿い

 パフォスは魅力的な町でした。離れがたい思いを胸に、次のレメソスに行かねばなりません。近くの教会の 鐘がなり、別れを惜しんでくれているようです。鐘は普通一つずつが鳴るのですが普通ですが、此処は連打しています、何とも言われぬ、思いを込めているようです。此のレンタル・ルームの裏には猫が住み着いているようす。従業員がフードと水を与えている。安心しますが、どうか去勢をして下さい。不幸な猫達が増えるのにと、心の中で手を合わせています。
 中心街のバスターミナルから別のバスに乗る、多くの旅行者が乘って来る。ツアーでも通った道ですが、整備された高速道路を心地よく走る。レメソスに着いたと知らされたけど、道の途中であったので、不思議な気持ち。案内所を頼りに宿を紹介して貰う。観光客相手の店が、びっしりと並んでいる、旧市街の中に宿はある。昔からの古い宿のようです。レセプションのオーナーは、不愛想な態度、泊り客は何方も居ない。直ぐに宿代を請求する。これではお客さんは来ないよーと言いたい。この辺りには教会、モスクも多いのは、多民族が住んでいる事でしょう。
 キプロスに来てギリシャと同じく、レストランの事をタベルナと発音する。海岸沿いには、デラックスなホテルやタベルナが並んでいます。毎年恒例のピーク時には、大勢の観光客が訪れる事でしょう、そして9月のブドウの収穫時には、カーニバルやワイン・フェステイバル等が、開催される。
 レメソス城は、砦の形をしています。支配される国によって、使い方も違ってくる。牢獄として、十字軍、オスマントルコ、イギリスの統治時代も、色々と使用された。現代は博物館として使われている。地下の独房は、今でも使われているような、不気味な雰囲気が有る。屋上からはレメソスの町が、一望できて気持ちが良い。
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       レメソス→ラルナカ
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 レメソスの宿は朝食も、オーダーしたものと違った金額で、何だか腑に落ちない。少々の金額なので、もう2度と来ることもないので、諦めましょう。海岸沿いを人々は散歩したり、ランニングをしたり、地中海の眺めは伸び伸びする。ラルナカ行のバス停を確かめに、散歩し乍ら行くと、突然の雨に逢う。傘は何時も持っているので、困ることは無いのだが、何かのショウが有るのでしょう、急いで仕舞っている人々は、愉快に笑いながら何時もの事と、慣れているのでしょう。暫くすると嘘のように青空が覗く。
 ラルナカでは最初の宿ではなく、心算のところを予約して居たので、安心してチェックイン。2部屋ありの、大きなキッチン付き、でも今回はコンロの使い方に往生する。何かの土産は無いかなー。オリーヴが豊富なので、そのもので作ったのを捜す。チーズの種類が多い。私はキプロス特産のハルミ・チーズを買いました。どんな味がするのか楽しみです。次の日ラルナカを後にし、日本に帰国しました。
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