space
contents news information invitation activities my_room free_action data_box name
space
初(はっ)ちゃんの世界紀行――吉田初枝
space
 ネパールの旅  〔2017.11.27〜2017.12.10〕
space
space
space
 ネパールには多分8回位は訪れている。気ままな自由旅の中で、一番回数が多いのはこの国でしょう。若き日より登山が趣味で、それが高じてネパールのヒマラヤに憧れ、多方面のトレッキングを終えて、その間に友人も増え、今回は気持ちの通じる三人に、逢えるといいなと思っていた。相棒さん達は、今回が初めてらしく、ネパールの地を訪れたいと、それが高い山に登れなくとも、気楽なトレッキングが出来れば、それで満足ですとのことでした。地震が起きてから2年以上経つが、その爪痕を見るのには、忍びないと思いますが、自分の健康を考えれば、何時まで続くか不安もあり、思いきってネパール行を決める。
space
space
       カトマンズ→カトマンズの郊外サンガ
space
1711_1 space 1711_2
左=銀杏旅館    右=バネバの地元の野菜売り場

 トリバン空港には、以前からの友人の日本人筋田さんが、A4の紙に”初ちゃん”との文字を掲げて待っていてくれる。嬉しい再会でした。空港より東に、アルニコ・ハイウエイ(日本政府の援助で間建設が工事をした)ネパールの道路の中でも最高の道を40分、骨董品のジープを飛ばす。彼の旅館の山道に差し掛かる所で、事故の為の渋滞に逢い中々進まず、やっと登り口に辿り着くが、その山道が凄い登り、カザフスタンのアルテイン・アラシャンの、あのデコボコ道にも負けない、こんな古い車が良くも走るものだと、私達は呆れかえる。やっとの思いで宿に到着する。地震の為に以前の宿は崩れ、新しく3階建ての宿が建設されていた。彼の苦難の賜物である。今夜はネパール特有のダルバート・タルカリを戴いて、眠るだけでした。
space
space
        サンガにて、バネバとパナウイ
space
1711_3 space 1711_4 space 1711_5
左=川で飼われているアヒル達   中央=シバ寺院  右=クリシュナ寺院

 以前に泊まった時には、宿の屋上から雲海の上に、朝日に輝くヒマラヤ山系を仰ぎ見て感動しましたが、今朝は幾ら待っても、恥ずかしいのか現れないのです。気象の関係では如何しょうもない。此処サンガは標高1700mですが、宿は丘の上ですので、まだ100m位は高みにあるので、雲海は下の村から、静かに登って来る様子は見事です。朝晩の冷え込みは相当ですが、オーナーが日本人であるので、寝具も食事も和風は有難い。何時もお茶というとネパール独特のミルク茶を振る舞って下さる。庶民の飲むネパールのミルク茶は、とてもおいしいものです。
 今日は近くのバネバに行きましょう。観光する様な町ではないけど、個人の店が沢山あり、スーパーもある。銀行で換金をする、空港のレートよりとても良いが、嫌になる程待たされて、ジイーとイスに座って居る間に、ネパールの人々の出入りが激しい。人々の顔立ちは眼鼻立ち、はっきりしているが、あくが強く皮膚の色は地黒い。やっと換金できた。筋田さんが夕食の野菜や、明日のお客さんが12人いらっしゃるそうで、ダルバートの食材を沢山買いこんでいました。
 バスに乗って王朝時代の西蔵との公易路であった古き町、パナウテイに行く。2つの川の合流地点にあり、川の流れを利用して、上下流にアヒルが沢山飼育されていて、いずれは食材になるのでしょうが、今は気楽に過ごしているようです。この町の中心にシバ寺院が有る。13世紀に開かれ、ネパールでも最古に寺院の一つ。とてもきれいに修復されている。川に面してクリシュナ寺院が有る、其処の川岸は洗濯場、水浴びもするし、火葬場でもある。町中に大小の寺院が有り、人々のヒンズー教への、信仰心の篤き心を感じます。観光化されていないからかな、サリ−を着た女性達の姿が、古き町によく映えます。路地を歩けば、この町の人々の生活が、垣間見える。何故洗濯物を家の前に、干すのでしょうか、そんな事は如何でも良いのでしょうね。のんびりとした雰囲気が感じられます。
space
space
       サンガにて、バクタブル
space
1711_6 space 1711_7
左=バクタプルのニャタポラ寺院   右=ネワール彫刻の傑作 孔雀の窓

 銀杏旅館は丘の上に建っているので、その上り下りがとても辛いけど、高みから見下ろし、気持ちがゆったりとして、気楽に過ごせます。朝日の輝きは、今朝も待っていたが、雲海ばかりで見えそうにもない。この付近から見える段々畑には、今は何も植えられていない。近くの農家には収穫したトウモロコシを、大きな塔にして、冬の食料にしている。動物ではなく人の食料でした。近くのお隣さんを散歩してみれば、ヤギや牛、羊、沢山の放し飼いの鶏を飼っている、各家の自給自足を賄えるのでしょうか。生計のやりくりは大変らしく、一家の誰かが、遠くに出稼ぎに行っているのが普通らしい。此のネパールでは、大学を卒業しても、ほとんどが仕事に就けない有様らしいです。未だにカースト制度が幅を利かし、上の位の人は、親族の関係で、世襲制が多いらしい。就職できる人は、無いに等しいらしいと、聞きました。
 私達は宿のお仕事をしている、19歳の女の子を一人連れ出して、バクタブル観光へと繰り出した。サンガより地元の満員のバスに乗り混んで、ゴチャゴチャしたバス停で下車する。直ぐに外国の観光客と見られて、監視員に15$を要求される。地元の人たちは何も払わなくてもよい。以前とは違い、随分高いなと思いますが、多分地震の修復代を含んでいるのだと、納得しました。
 旧市街は未だ地震の跡を、其の儘にしているところが多い。新しいビルは、一切建設はされてはいません。昔ながらの赤茶けたレンガ造りの建物ばかりが、1階はお土産物屋さん、レストラン、コーヒーショップ等、観光客を相手にしたお店が、道路にびっしりと並んでいます。此処にはネワール文化の絶頂期の、粋を集めた建築物が残っている。トウマデイー広場に、五重塔のニャタポラ寺院は、カトマンズの盆地の中では最も高く、目立つ存在で、地震にも耐えてビクともしていない。隣にはバイラビナート寺院も興味深い建築物。王宮や寺院はダルバート広場にある、ネワール彫刻の傑作を見つめていると、思わず笑いを誘う男女の秘密が彫られている、こんなに過激な彫刻が,お寺にあっていいのかなと、不思議でしょうがない。一番古い時代のタチュバル広場には、マラッカ王朝以前の寺や街並みが残っている。窓の彫刻の傑作は孔雀の窓、直ぐ近くまで見せて呉れる。京都の大丸の象徴の孔雀デザインとそっくりでした。バクダブル名産のズーズー・ダウ(王様のヨウグルト)を戴く、まったりとして癖が無く、とても美味しいものでした。
 今晩は12人のお客さんが到着の予定だそうで、筋田さんはカレー作りに大わらわ。ホットシャワーの温度が低い、屋上のソーラー発電は曇りがちの日には、熱くなるはずが無く、此れでも有るだけでも有難いです。寒い夜でしたけど、明日はカトマンズに行き、3度程我が家にホームステイしたボビちゃんに逢えると思うと、嬉しい気持ちでいっぱいです。
space
space
       サンガ→カトマンズ
space
1711_8 space 1711_9
space
1711_10
左=ダルバール広場 カーラ・バイラブ 右=ダルバール広場 女の子の神様との結婚式
 下=ボビちゃん家族


 銀杏旅館の登り下りだけの坂道を、楽に出来れば、本当に気持ちの良い宿です。此の坂道をバス停までの下りを荷物抱えては、至難の業、日本の山でも経験したことがない位、転ぶのが怖くてエッチラサで、荷物を助けてもらいやっとバス停に着く。地元のバスに乗り、昨日通った道であるが、やっとカトマンズの中心に着く。埃と排ガスで町全体が煙の中に居るようです。約束した場所に、40分遅れてボビちゃんはやって来た。あのか細い娘が、子供一人産めば、今では肥って来て、どっしりとした構えの奥さんになって居る。時の経つことを感じる。
 カトマンズの中心地タメルから散歩がてらダルバール広場に行こうとするが、庶民の店が犇めくチョウクの細い道は、押し合いへし合いで、相棒さん達は吃驚の姿、やっと観光のメインであるダルバール広場へ着く。未だ地震の修復工事は遅々として進んではいない。矢張り此処も観光客のチケットは高い。シバ寺院、ナラヤン寺院、ハヌマンドカ王宮、クマリの館からは生き神さんは顏を出さなかった、お布施が少なかったのかも知れない。ゆっくりと観光できる状態ではなく、人の多さに圧倒される。大声で観光する中国人の多さにも、驚きを隠せない。
 ボビちゃんのご主人が迎えに来て、新築したボダナート近くの、3階建てのボビちゃんのお家に、招待してもらう。新しいお家に引っ越したばかりだそうで、まだ家具が揃っていないけど、この方がシンプルでとても住みやすい。ネパールの家庭は兄弟で1軒の家に住むことが多い。ボビちゃんの家も1階を人に貸して、其処からの家賃が、銀行の借金の支払い、2階がボビちゃんとお姑さん、4LDKの大きさ、3階はご主人のお兄さんの家庭、多分2階と同じ大きさ、屋上が広く運動も出来そう、洗濯場と水タンクが隅に置いてある、日本のマンションよりは広く、ゆったりとしている。
ダルバート・タルカリのネパールの食事を戴く。私が鳥を嫌いな事を知ってか、野菜中心で美味しく出来ていました。ミルク茶が特に美味しいです。帰路にはダージリン茶を土産に、買おうかなと思います。タメルのホテルに送ってもらうのに、凄い車のラッシュ逢う、これが日常茶飯事らしく、ボビちゃんが約束の時間に遅れたのも、尤もだと改めて理解しました。
space
space
       タメル→パタン
space
1711_11 space 1711_12 space 1711_13
左=ゴールデン・テンプル  中央=パタンの王宮 右=パタンの修復工事は続く

 このホテルには暖房は無く、寒い部屋です。貧し気な朝食付きでした。作夜遅くに、中国のお客さんが沢山見えたようで、うるさいと言ってやろうかと思ったほどです。中国人達は世界で一番の、嫌われ者ということは、確かに言えると思います。どの国に行っても、何時も自分達の事しか考えていないようなふるまいで、他の人達の迷惑などは、思いもよらない事なのでしょう。行儀作法はそっちのけの国民ですから。急にお金持ちになったからでしょうか、親の代から、生きることに懸命で、躾は無かったからでしょうか。
 朝から寒いけど、とても天気が良いので、カトマンズの南にある古都パタンまで、周囲を見物しながらの、トレッキングをしましょう。1時間30分もあれば十分でしょう。昨日のアサン・チョウクの混雑は苦手なので、王宮前の大道を行けば、パタンに着くことは確か。ヒンズー寺院の前に、多くの人々が集まっているので覗くと、貧しい身なりの人々が、食べ物の喜捨を受けている。カンテイ・パトを過ぎて、バグマテイの橋を渡れば、大きな門の前に行き着く。マラッカ3王国の首都で栄えたパタンに着いた。
旧市街には沢山の寺が並んでいます。この町の住民は、大体が仏教徒らしいが、日本の寺のようではなく、金や銀の飾りでけばけばしく、落ち着かない。ダルバール広場に入る前に、ゴールデン・寺に行くと、朝早くから多くの信者達のお参りで混雑している。本堂は金でできている、精巧な細工を施し、1階は仏教のお寺で、2階はチベット仏教となっている。細い路地が入り組んでいて、間違えば迷子になりそうでした。路地の片隅では、青空市場が開かれ、主婦が色んな野菜を買っています。日本の野菜と大体同じもの。路地は長屋になっていて、軒端には古びているが彫刻が見事、昔の華やかな面影を、残しています。路地から路地ヘとぶらりと歩いていても、ささやかな面白い発見が有ります。道に迷っても、住民はジェスチャーで教えて呉れる。やっとダルバール広場に着く。マッラカ王朝の最盛期に造られた建築物、東には旧王宮、東側には色んな様式の寺院が並んでいます。ネパール建築の粋を集めた見本市会場のようで、建築家を目指す人々には、興味が尽きないところでしょう。それにしても警察の姿の多い事、若い女性も多く、何もすることなく、集団になって話している警察官達が多い。ネパールにはまともな職業は無いので、警察に就職するのは、救済事業のようです。見て歩いてもきりが無く、疲れたので屋上にあるコーヒーショップで、休ませてもらう。この国では一般に人々は、コーヒーよりもミルクテイーをよく飲みます。日本のお茶と同じです。何処で戴いても、美味しいと思います。小さな粒になった、アッサムテイがその原料です。(ネパールでは100g単位で売っていますが、日本で買おうとすると10g単位で、吃驚するほどに高いです。)屋上から見下ろせば、まだ地震の跡を修復している工事が、沢山有ることに気がついた。帰路はタメルまでのバスに乗る。
 宿に帰っていたら、ボビちゃん夫婦が車で迎えに来た。今から何処にでも、観光に行きましょう。ネパールの最大のストウーパ(仏塔)を持つ、チベット仏教の聖地である、ボダナートに行く。私は何度も訪れているが、相棒さん達は初めてであろう。チベットからの亡命した人々が住み着いて、タマン族の農村が、今では一大観光地と巡礼地としての賑わいを見せている。今日は土曜日、ネパールの休日らしい、すごい車と人の波、聖地とは名ばかりの事、ダライラマの法衣色を着た僧達も、マニ車を廻し乍ら、巡礼に訪れているが、もしかしてこの群衆を見て吃驚し、途方に暮れているのかも知れない。マイクから流れてくる経は、眠気を誘うような調子です。昼間は観光客が多いので、朝と夕には五体投地をしている信者達も多いらしい。此のストウーパには、大きな眼が描かれているので、別名目玉寺院とも呼ばれています。賑やかなボダナートから宿に帰り、明日のポカラ行のバスと、ホテルを予約してもらいました。
space
space
       カトマンズ→ポカラ
space
 カトマンズの宿は、シャワーの温度が低く、寒い思いをしましたので、レセプションに不満を言いました。しっかりと直してくれました。遠慮しないで納得できない事は、言わねばならない。明日は、早朝のバスに乗らねばならないし、朝食付きなのでその時間が無い。宿の方がランチボックスを持たせてくれる。観光客用のバスらしいが、王宮前の道にずらっと何十台も並んでいるので、予約したバスを見つけるのは難しい事でした。日本のバスのようにはいかない、古くてガタガタ、ゴトゴトと音がする。次々と山を越えて、村を越えて行く。7時間ほどかかるが、その間に3度のトイレタイム有り、食事も兼ねての休憩時間が永くて、無駄な時間が多すぎる。アンナプルナ連山が、薄く見えていると思うと、ポカラでした。バスターミナルの終点ではホテルの車が、迎えに来てくれていた。
 フェワ湖の畔の近くの未だ新しいホテルは、18年位前アンナプルナ1周の、トレッキングをした時のガイドだった青年ゴータマさんが、このホテルのオーナーなのです。彼に強い印象を持ったのは、頭上が真一文字に凹あり、それは幼い時に父を亡くし、母を助けたい一心で、頭に廻したベルトで、腰につるした袋に、砂利を詰め込んで運び、賃金を得ていたと言う事でした。次に会った時には、賢そうな奥さんと一緒に、とても評判の良い、レストランを経営していました。その時に、ホテルを建築する予定だと言っていました。その土地だけを見せてくれましたが、実現に出来るとは驚きです。彼に会ってみると、性格は以前とは変わってはいず、此れだけ成功しても、少しも奢り高ぶりの態度は見られません。じっと彼の話を聞いていると、レストランとホテルを、堅実に守っていく気構えを感じます。もう一つ彼には夢が有るそうで、それは日本食の美味しい店を、開きたいそうです。旅に在って何時も思う事は、日本食の美味しい店は、何処の国にもない事です。他所の国で、日本食を美味しく食べたいと思う心が、間違っているのかも知れません。ポカラでも日本食と書いてあるのは、経営者は中国か韓国人です。以前は日本語で客引きの看板があったのですが、今は中国語に換わっています。それだけポカラでもカトマンズにも、中国人観光客が多いと言う事でしょうか。サンガの筋田さんが、カトマンズはもう何年かすれば、華僑の勢いは留まる所を知らず、中華街が出来るでしょうと、心配して居たことは、現実に起こるかも知れない。此のポカラでも言える事です。
 3日間ポカラに居るつもりです、彼のホテルは朝食付きで、其の朝食が美味しく、設備は全て新しく気持ちの良いホテルです。窓からサランコットの丘が見える、その向こうには、アンナプルナ山脈が見えるはずですが、はっきりとは見えない。窓の下には、夫々のビルの屋上に、夜でも洗濯物が沢山干されています。子供の頃、母から洗濯物の夜干しは、厳禁と言われていたが、ネパールにはそんな言われはないのでしょうか。彼の以前と変わらぬ人柄に触れ、安心しました。彼には自分が貧乏で育った頃の事を、忘れないようにねと、忠告しておきました。
space
space
       ポカラにて
space
 アンナプルナ山脈は所々しか見えない、ズラーと全景を見たいものです。朝日に照らされたあの神々しい姿は、忘れられない想い出です。今日は天気も良いので、相棒さん達は、昨日従業員の女性一人を、案内役に抜擢して、サランコットまでをトレッキングをする計画です。私は何度も経験しているので、今日は別行動にします。私はフェワ湖周辺を、散歩に出かけましょう。
 フェワ湖に沿って、大道が有り、両サイドにはお土産屋さん、レストラン、トレッキングのグッズの店などがズラーと並んでいる、同じような店ばかりが並んでいる、売れているようには見えない。品物は、埃をかぶって色あせている。売り手も手持無沙汰のようです。この様に同じ品物ばかりを売っていると、共倒れしないかと心配です。此処も以前と違う所は、看板は中国語なので、中国資本の店らしい、中国人旅行者も多くなっている。私達が泊まっているホテルにも、此処にも中国の観光客が多い、後始末の掃除が大変な中国人達を、断る訳にはいかないのでと、気のない返事。バイキングの朝食を、お皿一杯山盛りに、それをナイロンの袋に、バサーと入れているのを見ると、お昼にそれを戴くつもりなの、如何するのだろうかと不思議に思える。
 気持ち良く湖の畔を歩いて行く、旧国王の別荘には、長い塀の所々から、銃を持った兵が、高みより身構えているのを見ると、何だか不気味さを感じる。今では王制は廃止され、王族全員が殺されてしまう悲劇があった。湖に浮かぶ小島には、バラヒ寺院があり、渡し船で行ってもらう。守護神の猪が祀られている。ヒンズー教の信者達が、のんびりと過ごしています。船着き場が凄く大きくなり、色んな船が泊っています。ネパール国民の巨大な保養地に早変わり、いつの間にか、この様な騒がしい処になったのかしら。以前はもっと静かで、長閑な田舎町の感じでしたのに。タカリ族は料理がとても上手という噂が有るので,タカリレストランで、ネパールのダルバート・タルカリを戴くと、矢張り何とも言えないその辛さは、美味しさに通じるものと思いました。
 サランコットまでのトレッキングはとても大変な道だったそうです。私が経験した折には、気軽に登りアンナプルナ山脈を、一望に眺められたのですが、今ではどうなっているのでしょうか。
 次の日にはゴータマさんが、自分の家に来て、家族に会ってほしいと。約束時間になっても、来ないので此れがネパール時間なのと、諦めていると、小さな車で彼はやって来た。車は実用的なだけで良い、大きなデラックスは無駄であるとの考えに、流石だなーと感心しました。彼の住居は4階建てのビルになっていて、1階は彼の子供2人の4人家族住居、2階、3階、4階とレンタル・ルームになっていて、その家賃が銀行への支払いとか、カトマンズのボビちゃんの、新築住居のあり方と同じです。お茶を出されましたが、何時ものように美味しいミルクテイーでした。
 昼からは車を1台借り切って、近くを観光しました。タンセン方面に車を走らせパタレ・チャンゴ(デイビット・フォール)フェア湖からの水が、岩壁の大穴から滝となって流れて、浸食によって造られた荒々しい地形の中に吸い込まれていく様は、大自然の不思議さを感じさせる。 タシリン・チベット村は、チベット人達の居住区で、1959年に中国軍隊が侵入した際に、チベットから逃れた難民を、ネパールが受け入れて、一定の場所を与えて、住まわせている。ネパールには何カ所も有るそうです。彼らはチベット独特の生活を維持しているそうで、観光客相手にアクセサリー、絨毯、毛糸の作品等を、売っています。私達を買う気が無い客と見たのでしょう、接客態度は冷ややかです。
 ポカラ博物館に行く。以前は広い土地の中に、こじんまりした建物でしたが、今回は近代的な建築物の中に、アンナプルナ地域の中に住む、多くの民族の風俗、生活様式を、人形や模型を使い、わかりやすく説明をしています。壁の全部を使い、山岳の大きな写真には、圧倒されました。
 今回ポカラを訪ねて感じたことは、神様が御造りになったようなヒマラヤ山系も、以前は山岳のトレッキングの中継地点としての、鄙びた静かな田舎町は、時代と共に近代的な要素が入り、世界中の若い人達の観光地として発展して来ている。山岳に興味ない人達も、ここまで来れば、美しきヒマラヤ山系の絶景を、麓のホテルに泊まりながら鑑賞できると、そしてカトマンズでは、悠久の歴史にも触れることが出来る。多分時代が進むにつれて、もっと近代的な町へとなるでしょう。誰にも止められない事でしょう。
space
space
       ポカラ→カトマンズ
space
 ポカラでのホテルの朝食は、言う事無い位の豪華さです。カトマンズ行の飛行機の便が、昼近くなので、それまでを近くを散歩しながら過ごしました。
ゴータマさんが空港まで、私達を送って下さいました。もうあと何年かしたら、此の空港も国際空港になるらしく、カトマンズで乗り換えなくとも、各国から直接にポカラに、来ることが出来るそうです。今日はアンナプルナ山脈がずらりとよく見えます。マチャプチャレの魚の尻尾の形までが、はっきりと見えます。皮肉な事で、カトマンズに帰る時になって、これだけはっきりと見えるとは。飛行機は30人乗りの、プロペラ機の古いタイプ。カトマンズから飛んできて、その足で折り返します。時間通りに出発する珍しさ。雲の上からのアンナプルナ山脈の見物は見事です。座った儘で、7,8千メートルの絶景が観られるとは、何という気持ちの良い事なのでしょうか。バスでは7時間もかかったのに、飛行機では30分でカトマンズに着きました。老いてもしんどくても、行動を起こさねば、感動は与えられるものではない、と言う事を実感しました。
 空港ではボビちゃんが迎えに来てくれました。混雑した通リを抜けて、以前と同じホテルに泊まります。此処は便利が良いと言うだけです。明日はネパール全土での、選挙の日らしい。車は夕方5時までは動いてはならないと言う決まりが有る。明日はサランコットに行くつもりですが、仕方がないので、車が解除になった時間に、ホテルまで迎えに来てくださいと頼みました。
space
space
       カトマンズにて→パシュパトナート→ナガルコット
space
1711_14 space 1711_15
左=フェワ湖 右=ポカラ チベット村

 ネパールでは本格的な選挙は初めてらしい、車は全てスットプしているので、何時もの渋滞は無く、各大道リには、警察の姿ばかり。バイクを検問している。
 私達はパシュパテイナートまで歩いて行こうとする。東へと1時間位かな。大きな広場やお寺等で、地元の人達が集まっているのが、投票場なのでしょう。王宮を越え、上り下りは有るものも、何とかヒンズー教の最大の寺院、パシュパテイナートに着く。主なシバ寺院には、ヒンズー教徒以外は入れないけど、観光客からは入場料を取っている。ガンジス河の支流であるマグマテイ川は、聖なる川とされて火葬場になっている。寺院の対岸からは、火葬されている様子を見ることが出来る。近くでは沐浴もしている。何時も火葬場には、魚を焼くような、臭いが立ち込めている。ヒンズーの人々は、輪廻転生を信じているので、火葬されている人の横には、親族が座っているが、涙している人々は居ない。男女の差別が有り、女性は火葬場には入れない。此処には沢山の猿がいて、供物を争奪戦で奪い合いをしている。灰になった亡骸を、川に流している人達が、大きな網で金目の物を、拾う姿を見るのは辛い光景でした。西側の対岸には、白い塔が有り、インドの人達の瞑想者サド―が、白い化粧をして、面白い格好で夫々が瞑想に入っている。寒くはないのかな、その人達は裸に近い姿です。宗教上のこととは言え、不可思議な事は多々あるものです。自動車の規制が解除されるまで、タメルの土産物屋をうろつきました。何も欲しい物は有りません。
 5時に約束の車は、フロントガラスに大きな許可書を貼ってやって来た。何時もの混雑は無くて、スイスイと走る。外は薄暗くなったので、何処を走っているのか見当がつかない。今晩は何時か泊まった事のある、ナガルコットの一番端の岸壁に建つ、雲海という名前の宿に泊まる予定です。カトマンズから1時間半位かかったでしょうか、険しい山道を登って来て2700mの宿に着く。多分朝晩は厳しい寒さが有るだろうと覚悟して、暗闇の中に浮かぶ宿に迎い入れられる。
space
space
       ナガルコット→カトマンズ
space
1711_16 space 1711_17 space 1711_18
左=パシュパトナート 火葬場  中央=パシュパトナート 右=ドルジェラクバ ゴサインクンド

1711_19 space 1711_20
左=ヒマラヤ山系のパノラマ    右=ナガルコットの裏側

 昨夜は何の音もしない、何となく不気味な夜でした。でも夜空には満天の星、息を飲む様な凄い星空とは、こんなにも美しく近くに、大きく眺められたのは初めてで、ナガルコットの丘と、下の町との明かりの対比が、空と地上の星比べのようで、幻想的な心に残る美しさでした。
 早朝より宿のテラスに出て、ヒマラヤ山脈が朝日に照らされた、神々しい姿を見たいと、待っていた、寒さに震えながら、今か今かと待つ時間は長い。雲海を染めて段々とその姿を現す。東にはエベレスト山脈、正面にはドルジェラクバとゴサインクンド、西にはアンナプルナの山脈、雄大なパノラマを観させてもらいました。暫くすれば、白い雲海に全てが覆われてしまい、一時の夢のような経験でした。
 宿の奥さんは日本人、今日本に帰っているそうで、会うことは出来ませんでした。この宿からの下方は多くの小さな村が有る。人はどんなところにも住めるものです。一番心配な事は、水は如何するのだろうか、谷迄汲みに行くのでしょうか、ガスは薪を燃やせばいい。此処の暮らしが何時もの暮らしならば、何の不思議もない事でしょう。私が心配しても、如何しょうもない事なのでしょう。
私達の部屋に、この宿に飼われている猫なのでしょう。ベッドに上がって来る。猫にも動物好きと、分かるのか、警戒することなく、のんびりと寝そべっている。ナガルコットにいて、テレビもなく、世界のニュースも届かぬところで、気流に乗って悠々と、空を舞っている優雅な、ハヤブサ群れを見ていると、我を忘れて時を過ごすことは、大切な事かも知れません。
 朝食が終わり、近くの村を散歩してみると、ヤギや牛達との穏やかな田舎暮らしを、見かけますが、直ぐその近くに、中国語で書かれた看板のある、巨大なホテルが何軒か建築されています。大きなお寺も新しく建築されて、以前の人里離れた静かな憩いの地とは、違ったところになりつつある。時代の流れは、こんな処にも、やってきている事を感じます。
 ボビちゃん夫婦が、迎えにやって来てくれた。親指の爪がマジックでしょうか、黒く塗られているのを、見つけて不思議に思う。選挙の投票を済ませた印らしい。2,3日は消えないから、投票の是非を、区別をしているらしい、とても原始的な方法ですが、流石ネパールらしいと思います。ナガルコットへの坂道は、大変な道だったでしょう。彼らの親切を、有難いと思います。下りは時間掛かるが、緩やかな道の方を選んでくれた。小さな村々を見物しながらタメルに帰り、次の日には帰路に就いた。
space
space
space

space
space

space
space
「初(はっ)ちゃんの世界紀行」へ戻る
space
space
space
contents
space
to_top
space