比良「森山岳(通称)――故・谷口正俊氏追悼登山」
space
space
space
4819_1
space
追悼登山での集合写真
space
space
space
4819_2space4819_3
space
左=ワサビ天井滝  右=静かな佇まいのオトワ池
space
space
space
 坊村コース
 「比良の番人」と呼ばれたかの人が、この世を去って一年以上が過ぎた。追悼登山の舞台に選ばれたのは、そんな彼にふさわしい比良山系の森山岳(1080m)。蓬莱山コースと坊村コースに分かれての集中登山となった。坊村からの林道は、息がつまりそうなくらい濃い新緑に包まれている。三ノ滝の道標を過ぎてまもなく伊藤新道へ入り、沢道をたどる。ワサビ大滝、ワサビ天井滝を見て、ジグザグの急登をゆっくり歩いて白滝山へ到着。この頃からだんだん風が強く吹き始め、空が重くなってきた。白滝山からオトワ池へ下る。この辺りはゆったりとした高原のような地形が続き、新緑とあいまって本当に気持ちのいい場所だ。ただ登山道が不明瞭となり、地図とコンパスをにらめっこしながら歩かねばならない。少々道を外してもひたすら南へ尾根をたどるべし、と歩を進める。そろそろ昼食をという頃にはついに雨が降り始める。あとはなにがなんでも森山岳へ到着するのみとばかり休憩も短く切り上げ、ただひたすら山頂へと向う。やがて人の気配を感じて見上げると、そこが蓬莱山コースの皆さんが待つ森山岳山頂であった。無事合流できてよかった。山頂でのセレモニーの間、雨風が強まり「なんでこんな時に限って降るんやろ?」と思ったが、こういう時の雨を“涙雨”というそうだ。故人が私たちを見て喜んでおられるのだろうか。そういえば、どこからか「おおきになぁ、おおきになぁ」という声が聞こえてきそうだ……。その後は全員で蓬莱山コースを戻り、ロープウェイであっという間に下山できた。(原田文美 記)
 
space
space
space
4819_4space4819_5
space
左=蓬莱山をめざしてスキー場を下る  右=1080mピークに向かう尾根道
space
space
space
 蓬莱山コース
 谷口さんの追悼登山に参加申込が60名を超えたそうだが、雨の天気予報と諸事情で56名となった。体調が悪く無理して登れば迷惑になると、堅田まで列車に同乗されたKさん。蓬莱山まで登られて膝が痛みだし、無念にも引き返されたT夫妻。一度は家を出たものの、病気の家族が心配で戻られたNさん。身体に不安を抱えながらも参加していただいたYさんとNさん。退会されて久々にお会いした方々など、谷口さんが多くの仲間に愛され、死を惜しまれていると強く感じた。
 大型ロープウェイに乗って、約3分半で標高1100mの打見山に着いた。寒い。風も強いので、私は早々に上下とも雨具を着用した。打見山を出発する頃は視界もあり、蓬莱山や斜面に植えられたスイセンを見渡せたのだが、蓬莱山山頂に着いた時には完全にガスに覆われた。初っ端の笹原の登山道は不明瞭で、ガスの中を慎重に進んだ。少し高度が下がるとガスは薄れ、尾根に乗ったことが確認できた。とうとう雨が降り始めた。鞍部まで下り、登り返して1080mピーク(通称「森山岳」)に着いた。ガスで見晴らしのないのは残念だが、広々とした林の気持ちよい空間だった。坊村組はまだ到着していなかった。激しい風雨の中でビニールシートを張って、遅めのランチとした。
 ほどなく坊村組が到着。既にランチは済んだそうで、もう一つビニールシートを張って追悼の準備をしてくれた。写真が飾られ、焼香台が設けられた。Iさんがお経を唱えてくださり、順次お焼香を済ませた。三名の方が挨拶をされたが、風でほとんど聞き取れなかった。
 このピークが追悼の山に選ばれた理由は、谷口さんが亡くなられる直前に計画されていて、比良で唯一踏んでないピークだったからである。毎週のように山に行き、抜群の体力を持っておられたのに、急性肺炎という誰もが信じられない病名であっけなくこの世を去られた。27年前に初めて出会った山行も大雨だったけれど、別れもまた雨。この雨は私の心でもあり、谷口さんの無念の号泣でもあるように感じた。「ありがとうございました。安らかにお眠りください」と写真に語りかけ、やっと気持ちに区切りをつけられた。(田代 記)

・日 程=5月19日
・場 所=森山岳(通称)
・リーダー=原田 毅/サブリーダー=企画部員
・参加者=56名(坊村コース29名、蓬莱山コース27名)
space

space
space
「最近の活動」ページへ戻る
space
space
space
contents
space
to_top
space